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情報を閉じて直感をひらく

映画『もしも徳川家康が総理大臣になったら』を観た。

2020年、コロナ禍まっただなかの日本が舞台。
閣僚たちが次々にコロナで命を落とし、政府の存続が危ぶまれるなかAIで歴史上の偉人たちを甦らせ「偉人内閣」を組成する。
さて、どうやってコロナ禍から日本を救うのか。

ちょっとファンタジーでコメディ要素多めの映画であった。
(個人的にはとってもおもしろかった)
(GACKT信長にしびれた)

AIによって呼び覚まされた偉人たちといえば…
・徳川家康
・豊臣秀吉
・織田信長
・坂本龍馬
・徳川綱吉
・徳川吉宗
・足利義満
・北条政子
・紫式部
・聖徳太子
…とまあ「歴史上の偉人」といっても活躍した時代はばらばら。

でも、あたり前だけど、インターネットなどない時代を生きた点は全員に共通している。
インターネットどころか電話もない。
偉人たちなら読み書きはできたとしても、たとえば江戸から京都まで手紙が届くのだって何日かかるやら。だって自転車さえないのだから。

つまり彼・彼女らにとって情報とは、命懸けで取りに行き、命懸けで届けるものであり、そこまでしてもその真偽は怪しい。
エビデンスもへったくれもなかっただろうし。

血で血を洗う時代だから、なにが真でなにが偽りか、誰を信じるか、なにを信じるか。
信じるものを誤ればそれは命に関わる。そして歴史が動く。

今は親指1本でメッセージを送受信できるけれども、偉人たちの情報戦は自分の命、軍の命、ひいては歴史が懸かっている。
それだけに、もしも命を落とす結果になってしまうとしたら、誰かを信じて行った道より自分を信じて進んだ道のほうが、悔いが少ないだろう。
験担ぎとかジンクスとか信心を大切にしていたのも頷ける。

自分を信じる。直感を信じる。

∽∽∽

さて現代2024年においては、言わずもがなだが情報が溢れすぎている。
欲しい情報「だけ」を手に入れるなど無理ゲーともいえる。

調べたいことがあってGoogleで検索をかけても、知らず知らず横道にそれていて、「で、なにを調べていたんだっけ?」と忘れる頻度の高さよ。

これだけ情報があるのだから(都合のよい)正解がほしいとの心理が働くのも自然で、延々調べものをしている。
Aが正しい。
いやBのほうが適切だ。
違う違うCだって。
検索すればするほど情報の沼にずぶずぶとはまっていく。

Googleの検索結果はまだ許せるとしても、SNSはたちが悪い。
頼んでもないのに勝手におすすめを押しつけられる。
自分がフォローした人の投稿だけをみたいのに、タイムラインの合間合間に勝手なおすすめが入る。
みたくないっての。

物心ついたときからスマホをさわり、SNSが「ある」のがデフォルトの人たちはそう感じないかもしれないけれど、わたしは違う。
わたしの人生においてSNSはもともとなかったものだ。
SNSが「ない」時代を経験していてよかったと思う。
なぜなら、情報は主体的に取りに行くものだとの認識が自分のなかに多少でも残っているから。

自分で選びたいし、自分で決めたい。
誰の発言か、根拠はなにか、信じるに値するのか。

最後の最後に信じるべきは、情報ではなく自分の直感だ。
ただし直感は使っていないと鈍って発動しなくなる。

だから日頃から主体的に情報と向き合う必要がある。
命懸けで、とまではいわないが、わたしは偉人たちの姿勢を見習いたい。

最近、Instagramをスマホから削除した。
Xも開く頻度を減らしている。

ほんのちょっとの隙間があれば情報は容易に流れ込んでくるのだから、シャットアウトしておくぐらいでちょうどよい。
その代わり、直感を全開にしておく。
全開にしたつもりでも実際には今の状態ではなまくらだろうし。
意識して選び、意識して決めて、しかもそれを継続して、すこしずつ研いでいかないと。

情報を閉じて、直感をひらく。
信じるに足る自分が、自分で決めた道を信じて歩んでいくためにね。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたは情報とどんなふうに向き合っていますか?

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