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4/5を空けておく

「できない理由・できなかった理由」と「言い訳」は似ているようで違う。前者は文字通り。後者は前者に自己防衛意識がトッピングされている。
前者がひと言ですむ内容なら、後者はひと言ですむ「できない理由」に何枚も何枚もオブラートを重ねてダラダラドロドロ。相手の気分を害したくない、嫌われたくないと思えば思うほどオブラートは重なっていく。

言い訳を完全否定するわけじゃない。
むしろ時には必要だとも思う。自分に対しては。
だよね、できんよね、難しいよね。だって◯◯が✕✕だもんね。そりゃそうだ。いやー、よくがんばっとるわ、わたし。

自分を追い込むのなら、逃げ道を残して追い込んだほうがよいと思っている。
ちょっとの隙さえもつぶしてしまうと、本当に追い詰められたときにパニックになる。ふだんなら99%の確率でしないほうの判断をしてケガをする。一回退いて態勢を立て直したほうがよい状況でも退けないから当たって砕けて燃え尽きる。
だから逃げ道はだいじで、自分に対する言い訳は一種の逃げ道…というかセーフティネットの役割を果たすと思う。

でも、人に対する言い訳はみっともない。
むろん同じ言葉でも捉え方は人それぞれだから、なにが言い訳に該当してなにが言い訳にならないのかはジャッジが難しいところだけど。
これから述べようとしていることを、ひと言でいうとどうなるのか。できなかった理由を一文で表すなら?…究極の引き算をして考えたい。

∽∽∽

「自分という人間は、周囲の5人の平均的な人間になる」とは米国の億万長者の言葉。
もしそれが本当なら「どいつもこいつも言い訳ばっかりだな」と感じるときには自分も言い訳ばかりになっている可能性が高い。

わたしの場合は転勤のたびに人間関係がほぼリセットされるわけだけれども、たしかにその土地土地でよくも悪くも「あ、なんかわたし変わったな」と感じるタイミングがやってくる。
もちろんつき合う人間の変化「だけ」が理由ではないだろう。でも多かれ少なかれ周囲の人間の影響を受けていると自覚している。
それこそ、だるい人間関係からフェードアウトしたら劇的に思考も軽やかになったし、人と真正面からつき合える人たちと多くの時間を過ごしたときは、自分も人に対して(よくも悪くも)まっすぐだった。

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今「自分の周囲の5人を挙げてみなさい」と問われても、回答に困る。仕事関係の「仲間」を挙げれば5人じゃとても収まりきらない。それを抜きにしたら、夫と、今は遠くに住んでいる学生時代からの友人の2人。
夫(家族)を含めないのだとしたら、1人になる。

だったら別に1/5のままでいい。
嫌われたくない気持ち、よく思われたい気持ちが変に発動すると、今までの経験上まったくよいことがない。
そんなことなら、尊敬の念と礼儀をもって、なにかあっても互いに言い訳する必要なく、取り繕う必要もなく、まっすぐつき合えるたった1人だけでじゅうぶん。
そのスタイルで1人が2人になり、3人4人5人になるぶんにはかまわないが、無理に足し算しなくていい。できない八方美人もしないでいくよ。

To be honest できないんじゃ I don't want



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが最近した言い訳はなんですか?

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