何年経っても変わらない救い
夏の甲子園が始まっている。
高校球児たちがまさに熱戦を繰り広げている。
高校野球はぜんぜんくわしくないけれど好きではある。
ふだんスポーツに興味がなくても、オリンピックはなんとなくみてしまうように。
ふだんサッカーに興味がなくてもワールドカップはついみてしまうように。
野球もプロ野球にじゃっかん興味がある程度で、高校野球については強豪校も注目選手も知らないけれど、甲子園はついつい追いかけてしまう。
しかし甲子園はオリンピックやサッカーと違って、気になってもみられない。
前にも書いたとおり、負ければ即引退の残酷なトーナメントがつらいから。
そんなわたしも高校2年生の夏、恋に大敗を喫した。
おつき合いしていた彼の心移りにより、盛大にフラれた。
そして、あろうことか彼が間髪を入れず次につき合いはじめた相手は、わたしの友だちだった。
彼女とは同じ部活に所属していたため、毎日顔を合わせなければならない。
「腸が煮えくり返る」とはこういうことかと体感した。
怒り、憎しみ、悲しみ、憤り、情けなさ、虚無感。
やり場のない感情のやり場に困り果てた。
まるでひどい便秘だ。
来る日も来る日も腹が重くてムカムカする。
どこか遠くに行ってしまいたくても、学校をサボる勇気もなければ、遠くに出かけるお金もない。というか、どこに行ったらいいのかもわからない。
そういうことが2人の耳に入るのも悔しかった。
「別にフラれようが、あなた方がおつき合いを始めようが、わたしにはなんのダメージもありませんけど?」というふうを装っていたかった。
なんて気が小さいんだ!
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その日なぜわたしがそうしようと思ったのかは記憶にないが、学校からの帰り道、ふと本屋さんに立ち寄った。
小学生の頃は学校の図書館でよーく本を借りて読んでいたけれども、中学・高校と読書からはすっぱり距離が空いてしまっていた。
ところがその日のわたしはなにを思ったか本屋さんに足を踏み入れたのである。
文庫本コーナーをふらーっと眺めていると、1冊の本が目に留まった。
唯川恵さんの『「さよなら」が知ってるたくさんのこと』だった。
これはまさにわたしのための本だろう!と、ビビッときたことは鮮明に覚えている。
もうその瞬間、棚に手が伸びていた。
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思えば、自分のお金で本を買ったのはそれがはじめてだったかもしれない。
小学生の頃は、本に関しては親が惜しまず買ってくれたから。
自分のために書かれた本だと確信し、はじめて自分のお金で買った本の内容を、残念ながらまったく覚えていない。
しかしなにをしていても気がそぞろだった当時のわたしにとって大きな収穫は、ほかごとを考えることなく没頭できる体験の発見だった。
それ以来、受験勉強に本腰を入れる高校3年生の夏頃まで、授業中も家に帰っても本の虫だった。(自転車通学だったから、通学時間には読めないのだ)。
1冊読み終えてはまたすぐ学校帰りに本屋に寄って1冊調達してくる。
2~3日に1冊ペースで読んでいたのではなかろうか。
もちろん本の力だけではないけれども、そうやって少しずつ「楽しい」学生生活を取り戻していった。
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それから時を経て今。
また読書に没頭しつつある。
さすがに仕事中には読めないけれど、1日の終わりに本を開くその瞬間が楽しみで仕方がない。
もっとほかにすべきことはたくさんある。
しかし家事と仕事だけの毎日に昨年あたりから小さな疑問を抱いていたわたしにとって、なんだかバーンアウトが増えているわたしにとって、読書は夜中でも自宅でも5分しか時間がなくても楽しめる貴重な救いだ。
結局、高校生の頃から根っこの部分は変わっていない。
喪失感から立ち直るには、やっぱり本だ。
もっと早く気づけばよかった。
あのときも、このときも、もし本に手を伸ばしていたら、もっと早く立ち直れたかもしれないな。
学校帰りに本屋さんに寄ってくれた高校2年生の自分、ありがとう。
結局あの2人はそのままゴールインするよ。
失恋した代わりに、いや失恋のおかげで、あんたは一生涯の「救い」を得るからね。うつむいてばかりじゃなく、胸を張りなさい。
さ、わたしも次の本を読むことにしよう。
次はどれにしようかな。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたの「救い」はなんですか?
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