政治も世界情勢も分からないわたしが、新聞を読んで「社会」について考えた
言いたいことを言えている人って、
世の中にどれぐらいいるんだろう。
言いたいこと、考え、表現できていますか?
20年以上経っても変わらない、POISON
「言いたい事も言えないこんな世の中じゃ POISON」
反町隆史さんがこう歌ったのは1998年のこと。
24年経っても、通ずるところがあるんじゃないかな。
自分が属さないLINEグループやSNSの裏アカウントで、何を言われているか分からない。
だから言いたいことも思ったことも、怖くて表現できない。
表現を恐れてしまうような居づらい社会から、
安心して居られるやさしい社会になるように
わたしは水をやり続ける人でありたい。
そう思うにいたった、2つの記事がある。
わたしにとっての社会
わたしと社会の関わり。
そもそも意識して考えたことがなかった。
起業家や経営者、志ある若者が考えることだと思っていた。
一般人のわたしにとって社会は大きすぎる。
権力やお金を持った人たちが動かしている世界で、どうも自分とのつながりが具体的にイメージできないというか。
①伊藤羊一さんのnote
伊藤羊一さんのnoteを読んだ。
ニュースとの関わり方や、発信の仕方について書かれている。
読んでいて、うなずきが止まらなかった。
わたしはニュースをほとんど見ない。
その理由がまさに、「自分とは別世界で起きていることに興味が持てない」から。
何なら「自分とは関係ないし」とさえ思っていた。
そうそう、そうなのよ!と
めちゃくちゃ共感しながら次の段落に進んだら…
…分かっちゃいる。
歳をいえば、わたしはもう、いい大人。
興味がないとか、関係ないとか、そんな風じゃよくないなって、反省した。
「自分は社会とどう関わっているんだろう?」という視点を持って、実際にニュースを読んでみようと行動を起こす。
②日経新聞のコラム
家族が読んでいる日経新聞をちょっとのぞいてみる。
政治や経済のニュースは理解が追いつかない。
そんななかで、あるコラムに目が留まった。
「ひとりで行動することへのイメージが、時代によって変わっている」という内容。
昭和の時代には「ひとりなんて、かわいそう!」と同情する人が多かった。
ところが平成、令和と時代が移り変わると一転。
「おひとりさま」とか「ソロ充」といった言葉は、自立した人やひとり行動を満喫する人を指す。
たしかに肯定的な意味合いに変わっている。
ひとり行動が好きでも苦手でも、
人それぞれでいいんじゃない?と、わたしは思う。
どちらのタイプの人もいていい。
むしろ、どちらかのタイプがいづらい世の中になるほうが、よくないんじゃないかな。
…そうか。
わたしは居ることや表現することをおびやかされない、やさしい社会を望んでいるんだ。
みんなが集まって遊んだり、ピクニックをしたり、ひとりで読書したりと、安心して寄りかかれる大きな木のような在り方。
それが、わたしが関わりたい「社会」。
今はまだ、大きなシステムの一部でしかないかもしれない。
でもこれからは、やさしい社会のクルーになりたい。
社会に水をやりつづけたい
「人が3人集まれば、社会になる」とどこかで聞いたおぼえがある。
つまり、ひとりじゃ社会は成り立たない。
わたしと同じような考えの人がどこかにいるかもしれない。
でも、もしみんな黙っているとしたら、関わるどころかその存在を知る術もない。
それに、居づらさを感じる人、表現を恐れている人は「わたし、ここに居ます」とはなかなか手を挙げにくいと思う。
じゃあ、自分から発信する。
同じような考えの人、勇気を出して発信している人を見つけたらコメントしてみる。
できるだけ攻撃や否定、批判のない表現で。
そうやって、
やさしく大きな木が育つように、水をやりつづける人でありたい。
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