物語を読み解くカギはいくらあってもいい『物語のカギ/渡辺祐真』
私は物語が好きだ。
それは物語によって救われた経験や励まされた経験があるから。
こんな気持ちを抱えているのは自分だけではないということを知ることができたから。
それは自分がそこにある物語を読み解いたから得られたことでもあり、読み解くためのカギを持っていたからでもある。
でも世の中にある物語の数は膨大で、その物語の数だけカギが存在する。
私はもっと物語を読みたい、読み解きたい。そう思ったからこの本を手に取った。
渡辺祐真さん(以下スケザネさん)は、じゃあ物語とは何ぞや?というところから解説をしてくれている。
なるほど物語ってこういうものか、そう理解させてくれたうえで、すでに世の中で親しまれている名作に触れつつ物語を読むためのカギを解説してくれている。
そのなかで私はこれは…!とツボを突かれたところがあったのだが、多いので2つだけ紹介させてもらいたい。
序章のところなのだけど、ここではわからないことに耐える能力=ネガティブ・ケイパビリティについて書かれている。
人間はわかりたがる生き物だが物語を読み解くためにはわからないことに耐え、考え抜くことが大切であると説いているのだけれど、正直ここは読んでいて一番「痛い痛い!」となりました。
私は自分で言うのもあれなのですが知的好奇心がかなりある。
すぐにネットで調べてしまうし、知りたいことが載っている本を探して読む。
これどういうこと?っていう疑問を放っておかずにいられないのである。
だからこそ物語に関してもこれってどういうこと?と思うと前のページを読み返す。
そしてこういうことか、なるほどね!と着地点に降り立ちたくなるのだ。
わかったふりをしてはいけないというスケザネさんの言葉がめちゃくちゃ沁みました。
物語に対して傲慢になってはいけない。
わかることを諦めず、わかったふりにならないように。
もっとネガティブ・ケイパビリティを育てていこうと思いましたね…。
もう一点は第二章から。
なんで文学はストレートに説明してくれないのか。
これに対する答え(物語のカギの理由)をここでは解説している。
いまはわかりやすいことが比較的求められている。
わかりやすいことが正義で、それに人は食いつく。
これはまあ現代人が忙しいとか娯楽コンテンツがたくさんあるとか色々理由はあると思うのだけど文学にまでわかりやすさが求められていることに暗澹たる気持ちになることがある。
私は趣味で二次創作の小説を書いている。
そのため趣味を創作としている人たちの悩みや疑問を解決するためのサイトとかにも出入りをしているのだけれど『もっと自分の小説を読んでもらいたい、どうすればいいか』という相談をけっこう目にする。
すると回答は決まってこうだ。
『平易な文章でわかりやすい内容にする』
せ、切ねえ…。
時代の流れだとわかっていてもわかりやすさが求められるの、切ない。
先述した通り、私はわからないことがあるとわかりたくなってくるタイプである。
そのために色々と調べたり、考えたりすることが大好きなのでこういう『わからない文学は求められない』という事象を目にすると胸が苦しくなる。
もっとわかりづらいことに寛容になってほしい。
これもある意味ではネガティブ・ケイパビリティへの耐性の低さなのだろうか。
スケザネさんがここで書いていたように、自分のことでさえ正確に理解できないとかわかりやすさに慣れてしまうと人の気持を推し量ることは難しいというようなことが知られてほしいと思った。
物語を読み解き、わからない感情を想像することは他者へのまなざしを優しいものにするのだと思うから。
こういう本の読み方に関する本を読むと、読書欲みたいなものがむくむくと首をもたげてきますね。
いま図書館から借りた本が6冊あるので早速取りかかります。
本を読みたいけど読み方がわからないとか楽しみ方がわからない人はぜひ手にとってみてください。
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