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ADHDの頭の中

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ADHDであるわたしの頭の中での感じ方考え方について 何か誰かの参考になればよいなと考えて書いています。
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#小学校

ADHDの頭の中 (祖父の思い出)

ADHDの頭の中 (祖父の思い出)

おじいちゃんの机の上は宝の山だった。

わたしが転げ落ちて今も残る縫い傷を作った階段の上には、机の置いてある部屋があった。
2階には四畳半の和室と12畳の洋室があったのだが、12畳の洋室の窓際にお爺ちゃんの書棚やにオルガンやら机があったのだけれど、祖父はいつも1階の居間で作業をしていたし、12畳の洋室には叔母2人の寝るベッドがあった。
机はたしかに祖父のものだったと思うが、当時中学生や高校生だった

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ADHDの頭の中(教師との関係)

ADHDの頭の中(教師との関係)

昔のことを文字にして起こすことで、自分自身もちょっと心にダメージを負っているところがあるので、この先についても書いてしまってよいのかと考えてしまい、しばらく書くのを止めていました。でも、向き合うことでプラスとなる部分もあると思うので、無理にならないようにペースを落として書いていこうと思います。

幼稚園から小学校まで

階段を転げ落ちたのは母の実家だったけれど、父の実家にもよくあずけられていた。

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ADHDの頭の中(いじめの記憶)

ADHDの頭の中(いじめの記憶)

多分これはADHDあるあるなんだと思う。
わたしにも酷いいじめの経験がある。

子どもは案外残酷だ。良識がきちんと育ってないだけに度を超すことも稀ではない。そして、やったほうは大抵その後、自分がやったいじめのことを忘れる。でも、やられた側が、あまりに心の傷が大きくて自分の心を守るために意図して忘れることもあるのだ。

いじめの記憶と記憶の欠損

小学校3~4年の頃は、両親の不仲があったり、家庭の事

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ADHDの頭の中(読書の記憶 前編)

ADHDの頭の中(読書の記憶 前編)

どんな風に育てられたかといえば

うちの両親は教師だったし、祖父もそうだった。
「ご両親が先生なら勉強も教えてくれるでしょう?」
とはよく言われたが、うちの両親が自分から勉強を教えてくれたこともないし、わたしから両親に教えてと言ったこともない。かといって自分から進んで勉強することもなかったし、宿題なんてやった記憶がない。
最初の頃は、ただなんとなく家に帰ったら学校で起こったことは思い出さないように

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