ADHDの頭の中(読書の記憶 前編)
どんな風に育てられたかといえば
うちの両親は教師だったし、祖父もそうだった。
「ご両親が先生なら勉強も教えてくれるでしょう?」
とはよく言われたが、うちの両親が自分から勉強を教えてくれたこともないし、わたしから両親に教えてと言ったこともない。かといって自分から進んで勉強することもなかったし、宿題なんてやった記憶がない。
最初の頃は、ただなんとなく家に帰ったら学校で起こったことは思い出さないようになっていただけだし、中高生の頃はもう意地になっていて宿題なんか絶対にやらないと思っていたので、出さないと単位が危ないとかいうことがなかったら出来る出来ないはともかく提出するもんかとさえ思っていた。
情操教育っていうのも、あまりしてもらったという記憶がない。
母は小学校の教師やら幼稚園の先生(多分無免許)をしていたが、わたしは読み聞かせさえしてもらった記憶がない。音楽も、母は歌うのが苦手だったので、親から指導されることはなかった。
子供の頃の本とのつきあい
ただ、覚えているのは、小さい頃、わたしは家の中で本で遊んでいた。
本を読むとかそういうことではなくて、本で空間を仕切って部屋の中に道や部屋を作って遊んでいた。もちろん、読んだり眺めたりすることもあった。
文字は、ひらがなの積み木があったので、それをドミノのように並べて倒したり、タワーを作ったりしておぼえたのだと思う。物心ついたらひらがなは普通に読めるようになっていた。
ひらがなが読めてしまうので、母に「この本よんで」と持っていっても「自分で読めるでしょう」と突っ返されることが多かった。そしてそれは絵本でなくても同じことだった。
正直言って、子供の本が十分に置いてあるような家ではなかった。
小学校に入る少し前だが2cmくらいの全20巻の子供向けの本を買ってもらった。
「世界のむかしばなし」「日本のむかしばなし」「イソップ童話」「グリム童話」「ねむりひめ」「うりこひめ」など、メインのお話ひとつとその他短めのお話がいくつか、あるいはイソップ童話集のように短編のお話が複数書かれている本で、カラーの挿絵と本文が半々くらいの割合で書かれているものだった。
そして、その巻末には「おうちのひとに読んでもらいましょう」と書かれた、カラーの挿絵の無い漢字混じりの小さな文字で書かれた読み聞かせのためのページがあった。
わたしがそれを「読んで」と持っていったときでさえ、
「でも、読み仮名がついているから自分で読めるでしょう」
といって母は読んでくれなかった。
読めるかどうかの問題ではなく、読んでもらいたかったから持っていったのだ。
母はそれを拒否した。
けれど、母に読み聞かせを拒否されながらも、わたし自身は読めるものは片っ端から読んでいた。幼稚園の頃からキンダーブックの付録なのか別冊なのか、薄い物語の絵本も読んでいた記憶がある。その薄い本の中で今も記憶に残っているのが「注文の多い料理店」と「片耳のオオシカ」だった。
(小学校に入ってからは「科学」と「学習」を買ってもらうことになった。これは毎月楽しみにしていたのを覚えている。)
それ以外に自宅に子供の読む本がなくなったら、父の部屋の本棚にある「新今昔物語」という分厚い本を読んだことを憶えている。新今昔物語には「芋粥」「羅生門」「蜘蛛の糸」「鼻」「地獄変」などの話もあったので、芥川龍之介の作品が多かったのだと思うが、「耳なし芳一」の話もあったので、出典がバラバラな本だったのだろう。(耳なし芳一は小泉八雲の「怪談」が原作のはずだ)
この本は挿絵がほとんど無い本だった。普通の小学一年生なら楽しめる本では無かっただろう。挿絵がないということは、知識や経験の少ない子供の頭の中でその光景を想像しつつの読書になる。わたしが思い浮かべていたのとは内容が違ったかもしれない。気味の悪い話が多く、情操教育に良いとは全く思えないものだった。
父も母も児童書を選んで買い与えるようなことをする人ではなかったし、その頃の市立図書館は旧市民館だかのあとに作られたもので、暗くて古い建物で、そこに連れて行ってもらうこともなかった。
いよいよ家に子供向きの本がなくなると、わたしは父の本棚にあった「天と地と」を読み始めた。これは大河ドラマになった話でもあったので、物語本の好きではない父でも興味があったのだろう。
しかし、読んだという記憶があるものの、その読んだ内容を記憶していないのだ。これはテレビでもその話をみていたので頭のなかで記憶が混じってしまったのかもしれない。
それも読み終わってしまうと、読む物語本がなくなった。
そうするとわたしは父の本棚にある中学高校の理科の教科書を読み漁った。
理科の教科書には挿絵があり、新しい知識が入ってくるのもわたしには良い刺激となっていた。面白くて、面白くて、わたしは教科書というものが好きになった。
小学校に上がって、一番最初に教科書をもらったとき、わたしはそれを1日で読み終えてしまった。
さて問題だ。すべて読み終わってしまっているのだ。
つまらない。本当につまらない。おとなしくそこに座って授業を受けていくことがわたしには苦痛でしかなかった。教科書は持っていくけれど、開けずに机の上においてある。読んで理解するのは得意だけれど、書くのが苦手だからノートも真っ白のままだった。最初の2~3行しか文字が書かれていないノートを何冊捨てたかわからない。
ただ、読書の時間だけは楽しかった。他の子が1冊の本をギリギリで読み終わるくらいの時間で、中学年向けの本を2~3冊読み終わって時間が余っている状態だった。
その学校では、転入生が来たときに教科書が無いと授業を受けられないので、学年終わりに教科書がよい状態で手元にあると学校に寄付をさせる習慣があったのだが、授業中も開かないくらい使われないわたしの教科書は、それこそ「未使用に近い状態」だったため、手元に教科書が残ることはなかった。
小学校に上がると、子ども文学全集みたいな薄っぺらい本ではわたしの読書欲を満たすことが出来ず、学校で図書の時間に読む本でも物足りなく思い始めたため、母は厚さが5cmほどもある分厚い少年少女文学全集を定期購読し始めた。
その本も、「小公子/小公女」「ああ無情」「ガリバー旅行記」「若草物語」「一房の葡萄」「赤毛のアン」までは覚えている。子ども~で読んだ「そんごくう」は「西遊記」になっていた。
この少年少女文学全集(正確な名称は覚えていない)は、手に持って読むのが難しいほど重くてしっかりしたハードカバーの本だった。小公子と小公女が1冊に収まっているあたりでお察しであろう。表になるタイトルのほかにも作品が載っていたのだ。
そして、文字も比較的小さく、挿絵もほとんど無し。文体も少年少女に読ませるにはちょっと難しいのではないかというほどに、大人向けの普通の文学全集に載っているものに近かった。
だからわたしは、これを買うくらいならお祖父ちゃんの本棚にある文学全集で十分だといって母に購入をやめさせた。もちろん母は自分で読んでいないから、自分がどれくらい難解な本を小学校低学年の子どもに読ませていたかなんて理解していなかっただろう。
さて、ここで図書の時間の話に戻るが、わたしが通っていた小学校では低学年の児童には図書の貸出はされていなかったため、本を借りて自宅で読むことは出来なかった。
読むペースが早いので、かなりの数の本を読んだと思うが、残念なことにその頃読んだ本についてはほとんど記憶に残っていない。ただ少し覚えているのは、今のように児童専門の文学が少なかった時代だったので、世界の名作を子供向けに簡略化した本が多いなと子供心にも感じていた。
読むものがなくて大人の本棚から本を抜き出して読むような子どもが、都合のよいところだけを抜き出して、しかもわかりやすく簡略化されたそれを読んで面白いと思えるだろうか。
推理小説との出会い
小学校の4年にあがるとき、自宅近くの新しく出来た小学校に転校したが、できたばかりのその小学校には図書室がなかった。はっきり言ってしまえば作りかけだったその校舎には、図書室だけでなく体育館もプールも理科室も音楽室も家庭科室もなかった。
図書室のかわりに、階段の踊り場の壁面に書架が作られ、そこに普通の教室にあるような机がひとつあり、上級生の図書委員の当番が休み時間にその机のところにいて、本を貸し出してくれるようになっていた。
少し蔵書が増えると、それは空き教室に移されて、そこが「とりあえずの図書室」になっていたが、普通の教室に収まる程度の蔵書数だ。たかが知れている。それでもわたしは、この仮設図書室にほぼ毎日通い、本を借りていた。
この頃わたしが借りていたのは江戸川乱歩の小説だった。それも、少年探偵団が活躍し、怪人二十面相が出てくる話ではなく、「一寸法師」や「三角館の恐怖」、「幽鬼の塔」「蜘蛛男」「地獄の道化師」など、陰鬱で気持ちの悪い話ばかりだった。
だが、所詮小学校の図書室に寄贈されるような本だ。江戸川乱歩の本の大半は少年探偵団シリーズで、すぐに読み終わってしまう。アガサ・クリスティやコナン・ドイルの本も読んだが、すぐに読む本がなくなってしまった。
この時期(小学校中学年)に児童書も何冊か読んでいるはずだが、記憶に残っているのは「そばかす先生のふしぎな学校」というポーランドの作家による児童文学だ。この学校では頑張った子に先生のそばかすがプレゼントされる。頑張るといっても、普通の学校のような勉強を頑張るものではないんだけどね。本を読むという行為が糸をほどくように本から文字をはがしていくことだったり、先生が色ガラスから美味しいおやつを作ったりと、現実世界では現象として見られないものだから、頭の中で視覚化して想像することが難しいおはなしだった。2005年に復刊されたので、わたしもその時に購入して手元にある。
そして、図書室にある面白そうな推理小説を読み尽くすと、物語本を読む頻度は少なくなったように思う。ただ、父の本棚の本や雑誌、祖父の本棚の本は読んでいたように記憶している。
何しろ何十年も前のことだ、はっきり記憶には残っていない。
別に、本が好きだからといって漫画やテレビを見なかったわけではない。
小4の頃には親友(?)も出来て、友達のうちに遊びに行くようにもなっていた。まあでも、相変わらず友だちにとってわたしは不思議ちゃんで、いろいろ驚かれたりもしたし、友だちのうちは下宿屋さんもしていたので、そこに住んでいた学生のお兄ちゃんやお姉ちゃんにいろいろ教えてもらったりもしていた。
相変わらず風変わりな子どもで、やや引きこもりっぽかったわたしは、この親友のおかげで外で過ごす時間も増え、この時期は少し読書も減っていた。
ただ、子供の頃の馬鹿げた量の読書によって読解力はついていたのだろう。高校1年位まで自宅で勉強した記憶がほぼ無い。成績ははっきり覚えていないけれど、小学校の成績は、小中学年の頃は成績に興味が無かったので全く覚えていない。高学年では「よくできる」「できる」「努力してほしい」3段階を複数項目で評価するものだったけれど、体育(苦手)以外はすべて「よくできる」だったのは憶えている。
実際には数字などで指導要録に書かれて保管されていたのだと思うけれど、あんな評価じゃその数字まではわからない。私立を受験する子たちは大変だっただろうなと思う。
(昨晩は下書き保存のまま寝てしまったので、今日は2連投かも?)
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