今日ときめいた言葉5ー「市民たちには自由も意志もない場合は、恐れとへつらいが(投票を喝采に変えてしまい・・・)、崇拝するか、呪うかのどちらかになる😱」・・・独裁国家の行く末‼️
(タイトル写真はチェコにあるテレジン収容所墓地。アウシュビッツに送られる前の中継地。テレジンはマリア・テレジアから取られていると言う。かつてはオーストリアの要塞だったところだそうだ)
(2022年10月19日付 朝日新聞「時事小言」ー共産党独裁の行く末はー藤原帰一氏の記事から)
上記の言葉は、中国の習近平国家主席の3期目就任時の演説会場を埋め尽くした大勢の参加者の光景を見ていて、藤原氏が思い出したジャン=ジャック・ルソーの言葉だそうである。
この言葉は、奴隷状態に置かれた市民における全員一致について、ルソーが書いた一節である(社会契約論 第4編)
「市民たちには自由も意志もない場合は、恐れとへつらいが、投票を喝采に変えてしまい、もはや議論は行われず、崇拝するか、呪うかのどちらかになってしまう」
我々を圧倒する演説会場の光景は、権威主義的国家ではよく見られる。海外メディアが市民に意見を求めても本心は語らない。語れない状況に置かれていることは見ている我々にも容易に想像がつく。支持率が100パーセントに近かったり、投票率が99パーセントとか、民主主義国家ではちょっと考えられない数字を見ると不気味にさえ感じる。
数年前、御嶽山の山小屋で同室だった上海から来た中国人男性に我々の率直な意見をぶつけてみた。中国の状況については、彼も我々と全く同じ意見を持っていた。もっとも彼は日本の大学を卒業し、日本の都市銀行で10年も働いた人だから特別なのかもしれないが。
彼曰く、今の中国の若者は海外事情を知らない。民主主義や表現の自由も味わったことがない。生まれた時からこんな状況で育ってきた人間には、中国が異常な事態だとは映らない。あの有名校の復旦大学の学生だって「中国の民主主義は欧米とは違う」と言い切っていた(マイケル・サンデルの番組「民主主義とは何か」で)
民主主義を求めて天安門事件を起こし、挫折した人々は、その後の人生をどう生きたのだろうか、と考えてしまう。
最後に彼が言った言葉は「私は、習近平が死ぬのを待っています」だった。まさにルソーの言葉にある「崇拝するか、呪うか」である。
藤原氏は中国共産党の独裁について以下のように締めくくっている。
「戦争さえしなければ中国共産党の独裁が続くのだろうか。やはりそう決めつけるのは、誤りだろう。現代中国の矛盾は、市場経済を認めながら政治的自由を排除している点にある。どれほど盤石に見えたとしても強権支配の矛盾が表面化することは避けられない」
「豊かさのために自由を犠牲にする必要はない。経済成長の果実を手にした中国国民にとって、共産党は国民の意志を体現する存在ではなく、恐れとへつらいを強要する過去の遺物に過ぎない」