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今日ときめいた言葉25ー「世のためにつくした人の一生ほど美しいものはない」


英語訳は、

There’s nothing as beautiful as dedicating one’s life for a cause.

上の日本語のフレーズは、「司馬遼太郎が日本の未来を憂いて小学生の国語教科書に書いた『洪庵のたいまつ』」からの引用文で、英文は依頼された人がそれを英語に訳したもの(洪庵とは緒方洪庵のこと。彼は優秀な若者を育てることに身を捧げたと言う話)
(2023年2月26日付 朝日新聞 「窓」から)


その教科書からの一文の翻訳を頼んだ人は、岩手県陸前高田市の小学校の副校長、頼まれて翻訳した人は外国語指導助手のアメリカ人の青年。この青年は、その直後に起きた東日本大震災で津波に飲まれ命を落としている。26歳だったそうだ(副校長はこの青年をこの一文のように生きた人だと讃えている)


我々の日常は、国内外を問わず悲劇や残酷な出来事の情報であふれている。今の私は、「人間はここまで残虐になれるのか」という事実をさんざん見せつけられて、やり切れなさを感じている一方で、「人間はそこまで人のために尽くせるものなのか」という感動の事実もたくさんあることを再確認して、心のバランスをとっている。

だから、タイトルのような美しい言葉に接すると無性にうれしくなる。素の自分はとってもナイーブなのだと自覚する。だが同時にそんな自分を冷ややかに見ていて、「世のためにつくした人」の話など偽善ではないか、そんな美談に浮かれているお前はかなりおめでたい人間だとシニカルにみている自分もいる。

それでもそれでもなお、胸を打つ話に出会うと涙する自分がいる。線路に落ちた人を助けようと電車の近づく線路に飛び込み命を落とした人。救命ボートの一つの席を譲り自分は波間に消えた人。燃え盛る高層ビルの出口にたどり着きながら、引き返し上階部に取り残された人々を助けて自分は崩れた瓦礫の下敷きになった人。かと思えば、一枚の板にしがみついて暗い海を漂っている時、その板にしがみつこうとしたもう一人を突き放して自分だけが助かった人もいる。

この究極の選択の瞬間、当事者の脳裏に去来するのは何か?二つの選択のうち一方を選ぶという意思はどこから生まれてくるのか。シナリオのない日常で一つの結末を選択する。同じシナリオに出会ったら、また同じ選択をするだろうか?

「世のためにつくした人の一生ほど美しいものはない」
人間は、「自らの命を賭して、他者のために選択する」力を確かに持っている。

「誰かのささやかな営みが、時には世界を動かすことがある」
(NHK 「映像の世紀 バタフライエフェクト」ナレーションより)



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