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エンジンがかかった瞬間ーそれは感謝・安堵そして喜びに満たされた瞬間だった!
私の場合は、本当に「エンジンがかかった瞬間」の喜びです。
ウン十年前、ボランティア活動をしていたタンザニアでは、オートバイは日常生活の必需品でした。赴任した当時、私は車の免許はおろか、オートバイの免許だって持っておらず、オートバイなど乗ったこともありまでんでした。
着任初日からオートバイに乗る練習が待っていました。何人ものボランティアが乗り継いだオンボロのホンダトライアルの90ccはとても重くて、身長150センチ足らずの私の手に余るものでした。まず倒れたオートバイが起こせない。何とかまたがってみるものの足が地面に着かない。キックする力が十分でないためにエンジンがかからない。それでも何とか真っ直ぐに走ることだけは、できるようになりました。でも八の字旋回ができず、本免許試験には落ち続け、2年間仮免のままでした😜
これでとりあえずは、職場までは通えます。街の市場やスーパーマーケットにも行けるようになり、生命の維持はできそうです。当時、ダルエスサラームは住宅の不足で、住まいを確保するのが大変でした。大方のボランティアが、結構街中や、環境の良い地区に住んでいるなか、私に与えられたのは、街外れのタンザニア人だけが住んでいる公営のアパートでした。
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常習的な断水、停電、泥棒に加え、あふれた汚水やゴミの山から立ち上る悪臭にも悩まされました。それでも、空港に通じる広い道路を職場まで、オートバイで疾走するのは痛快でした。朝夕は、防寒具を着ないと寒いくらいでした。
でもこの年代もののオートバイ、しょっちゅうバッテリーが上がって、その度に「押しがけ」なることをしなければなりませんでした。
まずスイッチを入れ、ギアをセカンドにする。クラッチを握ったまま、誰かに押してもらいスピードが出て車輪が回ったところでクラッチを離してエンジンを入れる(もう大昔のことで、記憶が定かではなく、間違った記述かもしれませんが、確かこんな風にエンジンをかけていたような、、、😅)
押しがけのスピードとこのクラッチを離すタイミングと加減が難しく、ひどい時は何度やってもかからないことがあります。押してもらっている申し訳なさと、うまくエンジンをかけられない焦りとで、身も心もくたくたになりました。重いオートバイを押す方の人は、息が切れるほど体力を消耗します。
ある時、ドイツのボランティアの家を訪ねました。数少ない女性のボランティアで、時々会っておしゃべりをしていました。楽しい午後を過ごし、日も傾いて来たので、暗くなる前に家路に着こうと、バイクにまたがりキックしたけど、エンジンがかからない。何度やってもダメでした。
彼女は押しがけをしようと言ってくれたので、彼女に押してもらって押しがけを試みました。かからない!すごすごオートバイを引いて戻る。もう一度。かからない!あたりは、薄暗くなり出しました。彼女も体力を消耗していることでしょう。申し訳なさでいっぱいです。暗くなっていくことへの恐れと焦り。でも彼女は、顔色ひとつ変えず、「さあ、もう一回」と言って励ましてくれました。
「よし、今度こそ絶対成功させる!」何度目だったかは、忘れましたけど「エンジンがかかった!」彼女はにこやかに、「エンジンが止まらないうちに、乗って行きなさい」と言って送り出してくれました。降りてお礼を言ういとまもなく、暗くなり始めた街中を走り抜け家路に着きました。
タンザニアで過ごした2年間が、私の価値観や人生観に大きなインパクトを与えたように、「エンジンがかかった瞬間」の感動は、体にも心にも深く刻まれました。「かかった瞬間」のビリビリするような感動と喜びは、その後マレーシアでも経験することになりました。
ボルネオ島での5年間とクアラルンプールでの5年間は、マニュアルのワゴン車を運転していました。この車ももちろん中古車で、一見きれいそうに見えても度々エンジンがかからない事態に見舞われました。娘3人を乗せての公園からの帰り道、エンジンがかからない!しかたなく、近くにたむろしていた4〜5人の若者に、恐る恐る「押しがけ」を頼みました。
若者たちは、快く承諾してくれて車を押してくれました。この時は一発でエンジンがかかりました!若者たちは、もう背を向けて歩き出していました。エンジンを切って車を止めるのが怖かった私は、窓から”Terima kashih”(ありがとう)と、だけ叫びました。が、そのことが悔やまれます。コーラの一杯もご馳走すればよかったと。
あの「エンジンがかかった瞬間」の感動は、忘れられません。だって、その瞬間、すっごく快感でしたから。人の情けとあのエンジン音が👍