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今日ときめいた言葉135ー「権利を行使することは、知識として学ぶだけでなく、集団で練習する必要もある技術なのだろう」

(2024年4月11日付朝日新聞 「欧州季評 ストライキがある生活 朴沙羅氏の言葉)

フィンランドの大学で教えるようになった朴氏が感じたストライキのある生活について、書いている。

「人権を守ることが大切だというお題目なら、日本でいくらでも聞いた。けれども、権利を認めさせる方法を家庭や学校や職場で、見たり聞いたり、誰かと一緒にやってみたりしたことは多くなかった」

確かにここ数十年ストライキで電車が止まることもないし、労働者がストライキする姿もめっきり減った。

昭和の人間なので、電車のストライキ予告のあった日は男性職員は「貸布団」を用意したり、女性職員は乗り継ぎしたり、遠路歩いたりして出勤したものだ。そんなことまでして会社に行く必要あるのかと疑問に思いながらも、どこか高揚感を感じていた。

そもそも大学が荒れていてよく授業が無くなった。デモをするのに角棒を持ったりヘルメットを被らなくても良かろうに。彼らはかなりのナルシストだったにちがいない。

だが朴氏が語るフィンランドはいまでもストライキがさかんらしい。朴氏曰く、

「他人が権利を行使したり獲得したりするためにみんなで力を合わせる姿を見ることが普通なら、おそらくストライキをすることは特殊なことではなく、少なくとも『困るけれども仕方のないこと』と思えるようになるかもしれない」

今の若者は、生まれてこの方日本社会でストライキをする光景など見たことはないだろう。むしろストライキやデモに参加した後の結果を恐れている。身に降りかかる不利益を恐れている。そんな恐怖感が漂う社会なのだろうか、日本社会は。

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