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蒼穹の昴/浅田次郎 感想
こんなに面白いものがあったのかと衝撃を受けるくらいどハマりした小説です。長編ですが、内容の面白さと文章の読みやすさのおかげで最初から最後までずっと夢中で読みました。
あまりにも好きすぎて1人で熱を抱えきれず、同じようにこの作品を好きな方と共有できたら嬉しいなと思い、とにかく好きなところを書いていきたいと思います。
ネタバレ配慮せず好きなところを語るだけなので、読了済みの方向けです。
・リアルとエンタメの中国感
紫禁城での暮らし、梁家屯での暮らし、科挙の受験、人々の生活の細部に至るまで、まるで経験してきたかのような描写が本当にすごい。名のない人物までが息づいている。
紫禁城、北京の胡同、貧しく荒れた土地、黄砂といった風景も、目の前に見えるよう。
読みながら、広大な国土の様々な風景を思い浮かべるだけでも楽しい。特別中国や中国史に興味があった訳ではありませんが、蒼穹の昴シリーズの聖地巡礼はしてみたい。
解像度を上げたくて、北京のストリートビューを見たり、映画ラストエンペラーのリバイバル上映を観に行ったりしました。
(ラストエンペラーはそれ自体素晴らしい作品で、これについてもいつか語りたい。英語だからこその印象的な美しい台詞もあり、何よりジョン・ローンがすごかった。)
あとは辮髪の額とか白髪とか結い方に表れる性格とかの描写が細かくて、世界史の授業で辮髪の強制を習ったときは何となく怖い印象しかなかったのですが、蒼穹の昴を読んで辮髪が好きになりました。
そしてエンタメとしての中国の物語にあってほしいものが山盛りで本当に楽しい。冒頭の白太太の占いのシーンからもう最高。シリーズ通して軸になる龍玉は、後々はもう存在することが当たり前のようにもなってきますが、序盤の伝説感はやっぱりわくわくします。
白太太の存在自体、中国〜!って感じで好きです。そして出てくるとちょっと安心します。
科挙の試験会場での老人のエピソードも、中国のお話にありそうなエピソードで好き。楊先生の生真面目な士大夫というキャラ、サソリを仕込まれるところも中国の物語に出てきそうな感じで好き。
春児が老公胡同で修行して、紫禁城でのお勤めに必要なスキルを各師匠から伝授され、それによりとんとん拍子に出世する様子や、京劇の師匠黒牡丹の魂を受け継ぐ流れは、できすぎ感も含めてど真ん中のエピソードで大好き。
・とにかく人物が魅力的
最高です。それぞれの信念が熱い。
架空の人物も実在の人物なのではと錯覚するし、実在の人物は、本当にこんな面ややり取りがあったんじゃないかと思うくらい人物描写が素晴らしい。
・梁文秀
あまりにも魅力的な人物。大好きです。これまで色々な作品に触れてきた中でも、フィクションの登場人物としてトップクラスに好き。
聡明で志高く、優しくて、自分の至らない点も痛ましいほど真摯に受け止める誠実な人柄。彼自身は自分の優しさは貧しい者への施しだったと評価するけれど、子供と話すときにしゃがんで目線を合わせたり、出自を気にせず相手と接する姿勢や、春児や玲玲の幸せを願う情の深さは、優しさに違いないと思います。持てる者としての振る舞いの側面があったとしても、紛い物の優しさでは決してないのではないかな。梁家屯でちゃらんぽらんな振る舞いをしていた頃も好きです。不良息子のように扱われながらも、人として大事なものはずっと持ち続けていたように思います。
春児との仲直りのシーンは本当に最高です。おぼっちゃんの自分には人の気持ちが分からない、なんてどこまでも正直で誠実な言葉に胸を打たれます。
「あなたに読み書きを教えたのは私です。」自分と同じ手癖で手紙の差出人を悟るというシチュエーションの熱さたるや。
玲玲に暴力を振るうシーンや自省するシーンでは、それまでの生活では当たり前のこととして意識することもなかった倫理観の歪さが表れ、またそれを自覚して苦しむ姿が辛い。それまで至極理性的に生きてきた彼が、理性を失うほど追い詰められていたこと。それでも死ぬことも許されない境遇。想像するだけでも苦しくなります。
その後のシリーズ通して彼の人生は断片的にしか描かれませんが、幸せや安らぎを感じる瞬間がいくらかでもあったことを願います。
・李春雲
生き抜くためにひたすら努力し続ける気高さに素直に感動する。作中でキリスト的な評価も受ける春児ですが、生きるために必死に頑張っていて、家族を捨てた罪悪感に苛まれつつも、西太后や友や妹を慈しむ姿はあまりにも純粋であり、憧れや畏敬の目で見られるのは自然なことのように思えます。それでも、過度に神格化せず、人間らしく描かれているのが好きです。
どうにもならないはずだった運命を変え、手繰り寄せる信念の強さと行動力。言葉にすると簡単だけど、これを説得力を持たせて描き切る筆致はさすがのものですね。
老仏爺のお宝を手に入れるという件や、タイトル蒼穹の昴の意味を突き付けられる終盤の流れは、胸が熱くなります。小説を読んで幸せに感じるのは、こういう物語に出会ったときだなと思います。
・玲玲
幼い頃に命を救われ、一緒に暮らしてくれた少爺に惹かれる気持ち、奥様にやきもちを焼くのも、奥様の優しい人柄を知って好きになっていくのも、自然な感情の変化に思われます。そして大人の女性として復生を愛し慈しむ気持ち。子供から大人になっていく女性の感情をこんなに自然に描けるものかと思ってしまいます。
優しくて強くて愛情深い玲玲。厳しい境遇でもまっすぐ育った彼女が眩しい。
・李鴻章
ひたすらかっこいい。実力と経験に裏打ちされた国内外への影響力、老いてなお鮮やかな政治的手腕。香港租借の交渉は作中でもトップクラスに好きなシーン。外国人でも中国人でも、清を揺るがそうとする者や局面を甘く見ている者への容赦のない物言いも好き。
・王逸
白太太に迫られてキスするシーン大好き。白太太の好みは王逸なんだというのも面白いし、この行動に彼の男らしさが表れていて、白太太が惚れるのもなるほどと思ったり。
そして投獄されてからのエピソードは全部最高。全てを失い、持てるものは科挙のために蓄えた膨大な知識のみとなり、次の世代を育てていくことに活路を見出して再生していく流れが美しい。小梅のことはきっと生涯忘れないのではないか。知識を身に付けることも難しく、たとえできたとしても、それによって自分の身を助けるには身体や環境にあまりに恵まれなかった少女。毛沢東を教え導くことで、彼女を救えなかった自分を救っていくのかな。毛沢東との出会いのシーンは泣いてしまいます。
・順桂
内面の描写が少なく、最後まで謎の多い人物。彼は自爆テロのとき何を考えていたのか?想像しても分からないけれど、遺品の色眼鏡が文秀の手に渡るのは胸が熱くなるシーンで好き。満州貴族というのもいい。現代日本人には理解できないような価値観や立場があったのでしょうね。
・載沢
各方面から西洋かぶれと軽んじられているけれど、だからこそ価値観が現代人に比較的近くて、共感しやすい人物として描かれているように思います。図らずも文秀の亡命の手引きをすることになるシーンでは、もっと怒ったりしてもいいのにどこか諦めて受け入れている様が面白いし、器の大きさも感じられてなかなかいいキャラで好き。(実在の人物にこういう表現をするのはちょっと気が引けますが)
・西太后
これこそ実在の人物についてどう評したら良いものかとは思いますが、清朝末期という激動の時代に、長年にわたって大国の為政者であった女性なんて、本当に様々なドラマがあっただろうと思います。
光緒帝を愛し、永禄を愛し、慈悲深い仏様とされるような面も描きつつ、宦官に容赦なく罰を与えたり、無駄に豪華な食事や観劇へのこだわりも描かれ、為政者としての苦悩を吐露する場面も描かれ、本当にこんなこともあったのかもと思うと面白い。中国の歴史の長さや重さ、その独自性を象徴するような人物という印象です。
春児に夫と息子を殺したのだと告白するシーンがとても好き。
日本の作家が、日本語で、中国史をベースにこんなに面白い小説を書いてくれているのは本当にすごいことだしありがたい。蒼穹の昴に出会えて幸せです。シリーズを順番に読み返してまた語っていきたいと思います。