【読書感想】歌集 宇宙時刻
人生で初めて歌集を読んだ。
作者の人生を読んだような気分になった。
●読んだ本
歌集 宇宙時刻 小関茂
●感想
以前、個人で営まれている書店を伺った際に、かねてより興味のあった歌集を購入した。
正直、歌と言われると百人一首くらいしか浮かばない程度には詩歌に触れずに生きてきた。(大部分の人はそうなのかもしれない)
購入した動機は、写真にもあるようにあまりにも綺麗な表紙と宇宙時刻という、個人的興味をそそるタイトル。
いったい、このタイトルでどういった内容の詩が歌われているんだろうと思った。
端的に言うと、とても刺さった。
読んでいくと、思っている短歌とは少し違った。
小関茂さんは口語自由律短歌を読む方のようで、日常の中で感じたことや考えたことが形に縛られないリズムで読まれていた。
詩の内容は、他愛もない日常のことから内心考えたこと、そしてタイトルのごとく宇宙などといった広い視野で物事を捉えた鋭い視点のものなど多岐に渡った。
個人的には、宇宙や人の生や本質といったものに切り込んだ詩がとても刺さった。
一部を引用するが、
「光の行く限りを宇宙と呼びそこに幸福を求めて生きる人間が住む」
「生命は宇宙をみたす音楽のような、美しく無限なものなんだね」
など、この文字数に詰まった彼の思考のエネルギーをひしひしと感じた。
前者の詩に関しては、私も寝る前に宇宙とは何なんだろう、果てがないとはどういうことなんだろうなどを滔々と考える夜がある。
そんな中で、「光の行く限りを宇宙と呼び」という一節が、確かにそうかと思った。
我々人間にとっての宇宙は、光が行って帰ってくるまたは光が発せられて我々のもとに届いたところまでの範囲しかない。
もっとも、自発的に発せられた光のほうが往復より速いはずだから、我々にとって最遠の宇宙は最も遠い恒星のある場所ということになる。
そこから宇宙の中を、光速という限りある速度でやってきて、宇宙の歴史を我々見せてくれている。
こう書きながら、宇宙時刻とはそういうことかと、勝手に膝を打っている私がいる。
宇宙の果てが今現在どうなっているか、真に理解できることはないけれど、我々にとっての宇宙はそういうものなんだなと思う。
「愛し信じ誓うといも明日の日も地球が青く緑なればこそ」
「光年という時間と距離を越えていく人類の日まで滅びずにあれ」
そう歌った小関さんの句からは、いつの日かこの地球を光速を越えて飛び立つかもしれない未来の人類への祈りが感じられた。
そんな、スケールの大きく、人間や生命の美しさを歌った句もあれば、
「生命 生命は死につつあること、酸化しら酸化し終えることなのだ」
といった、あまりにもさっぱりと生命について考えた詩もあるのだから落差がすごい。
落差といえば、決してこういったスケールの大きい詩だけではなく、
「秋だなあもちろん秋だからってべつに何がどうなるわけでもないがさ」
「人生が挟まれるごとく思う日はわか脛の毛を毟って捨てる」
といった日常の一瞬を切り取られており、思わずくだらないなあとフフッと笑ってしまうようなものもあり、全編とても楽しく読めた。
歌集の構成としては、若い頃の詩から始まり段々と歳を重ねた時に読んだ句への変わっていく、複数の歌集のまとめとなっていた。
若い頃の句は、口語自由律というものに馴染みがない私からは「短歌ってなんだ?」と感じるレベルの尖ったリズムの詩で、少しシニカルな印象を感じるものが多かった。
そこから歳を重ねるごとに、徐々に馴染みある短歌調のリズムに近づき、語り口もどこか丸くなったように感じた。
明治に生まれ、戦争を経験し、昭和を生きた作者の一生を覗き見たような経験だった。
これ以上の詳細は省くが、最後の詩を読んだ時の、若い頃からよく出てきたキーワードに少し答えをもらったような気をした感情や、あとがきを読んだときに「破顔一笑を得れば本望である」という言葉を見て、くだらんなあと笑った私が、詩を離れて初めて作者と対面で話したような気持ちになったことは私の宝物になった。
詩を通して作者の考えに、人生に思いを馳せ、それと同時に自分の人生についても少し思いを巡らせる、良い読書だった。
これからも色々歌集を読んでみようと思う。
多分、これからも読み返す一冊に出会えた。