ともし
短歌を載せた記事です
読んだ本の感想を書いていきます
動物園で撮った動物の写真を毎日投稿してます!
今日は会社の歓送迎会なので投稿おやすみです。 飲み会嫌いな若者が多いみたいな風潮をよく見ますが、自分は結構好きな方(自分が若者かはおいておいて)
設計も文章も、考えついたその瞬間はその熱に浮かされてとても素晴らしいものに思えてくる。 だけど、一日経って見てみると大したことはなかったり、見落としを見つけたりする。 だからといって、熱に浮かされるのが悪いかと言われると、その時にある熱量からしか生まれないものも間違いなくある。 なにごとも大切なのは、余裕を持って冷却して見返す時間を作ること。 そして見返す中でまた熱を吹き込んで、ゆっくり熱したり冷ましたりしながらより良い完成を目指すのだ。 短歌を作ってみるようになって
先週から今週で読んだものです。 どうしてもイライラが募ってしまう夜があります。 明日には忘れていますようにと眠りに身を委ねるのも大切だなと思う日がありました。 noteでも書きましたが、図書館の机には各々の人生が広がっていて面白いなと思った日がありました。 急に寒くなりましたね。 一番好きな秋が何処かに飛んでいってしまった気分です。
地鎮祭の日は長袖と上着でやや暑いくらいだと思っていたのに、昨日の帰り道は手袋が欲しいくらいの寒さ。 かといって、着込みすぎるとお昼は暑い。 服の調整が難しい時期になってきました。 とはいえもう11月後半。 暖かさに甘えて進めてなかった冬支度を進めないとあっという間に年の瀬がやってきそうです。 風邪に気をつけて2024年の残りも過ごしましょう。
妻が実家に帰った。 別に仲違いしたとかではなく、長期休みに入ったため数日実家で羽根を伸ばしている。 私も妻の体調を気遣う日々が続いた中で、久しぶりに一人の時間ができ、一息ついている(仕事はあるが)。 とはいえ、夜にひとりぽつねんと過ごしているとやはり少しさみしいもので、妻がいてくれるありがたみも感じます。 自分のためだけの料理もいいですが、やっぱり食べてくれる人がいてこそだなと晩御飯を作っていても思います。 お土産を持って帰ってきてくれるのを楽しみに、少しの寂しさを
今日は家を建てる予定の土地で地鎮祭を執り行った。 厄払いなどの機会はお寺に訪問していたため、神道系のお祓いを受けるのは記憶の限り初めてだった。 途中、ご祈祷を行ってくださった方(神道だとなんと呼ぶのだろう?)が、甲子園のサイレンのような声を2度上げた。 やってる最中はなんだろうと思っていたのですが、「警蹕」というもので、神様のお出ましを知らせる合図のようです。 触らぬ神に祟りなしという諺があるように、神様にお願いする以上はこちらも礼を尽くして、感謝を忘れずに土地をお借りし
妻が休日出勤だったので、本を返しがてら1日図書館で本を読んでいた。 図書館には色々な人がいて面白い。 思い思いの本を読む人、勉強する学生、資格の勉強をする社会人、パソコンで将棋をしている人などなど。 各々の人生があり、机の上にそれが広がっていて、それを覗き見できているみたいで面白かった。 この年になって、学生ぶりに石川啄木を読むなどした。 学生時代は特別な感情を持って読んではいなかったが、社会人になった今読むとなんと味わい深いことか。 じっくり図書館で文字と向き合うのは
今週ぼんやりと作った短歌を投稿しようと思います。 特に各首に補足はつけません。完全に自己満足の創作ですが、どこか風景が目に浮かんでもらえると嬉しいです。 文字に起こしている時に気づいたのですが、「とごる」って方言なんですね。 自分は、「片栗粉がとごってる」とかの文例で、沈殿しているという意味で使っていました。 方言混じりも自分の味かなということであえて変えてはいません。 短歌にコメントは付けないと言いつつ、1首目を思った時の写真だけ貼っておきます。 この時期の夕暮れは個人
「おざいまーす」 朝会社ですれ違う人と挨拶する時、すれ違いざまなのもありつい上のような挨拶をする。 「おはようございます」の中でおそらく文意が一番あるであろう「はよう」の部分を大胆に省略した形だが、自分がこう言われてもおそらく意図はわかるし、他にも同じような挨拶をしている人がいる。 朝、そんなに関係性がない人からかけられる言葉は挨拶くらいで、朝の挨拶といえば「おはようございます」。そういった共通認識があってこそ成り立っているであろう雑さに少しフフッと笑ってしまった朝だっ
歌集を読んでいると、思ったことや感じたことを短歌で残すのが、なんだか素敵だなと感じる。 なにか創作はしたいなという気持ちと、なかなか日頃時間を取れないなという事実があり創作欲を持て余す節があったが、文章を考えたりするのはもともと好きだし、ちょうどいいかもしれない。 と、影響されやすく飽きやすい心が言っている。 とはいえ、飽きやすいことがわかっているからと言って踏み出さないことはよくないと思う。 それが飽きない趣味になるかもしれないからだ。 とりあえず一首考えてみた。
昨日、所用があって有給をいただいたのもあり、今週初の出社が今日だった。 休み明けにたまにある、どこか思考が浮足立ったような、現実味のないふわふわした1日にあたってしまい、午前中はなかなか集中できなかった。 原因はシンプルに眠気があるというだけだと思うのだが、話していたりしてもその言葉を発している自分がどこか夢の中の住人のような感じがしてならない。 現実とは、実在とはなんなんだろう。 どれが現実なのか、そもそも現実なんてあるのか?なんて荒唐無稽なことを思いつつ、昼を過ぎた
昔から、人の顔色を伺いすぎて自分のやりたいこと、言いたいこと、感情を隠してしまう傾向にあると思う。 もう、人とのコミュニケーションにおいてつい反射でやってしまうレベルなのでなかなか直せる見込みもない。 肉親に対してもついそういったことをしてしまうのでどうしようもない。 だからといって、溜め込んで破裂するといったわけもなく、寝て起きたら忘れるタイプなので良いのかもしれない。 しかし、両親はもっと腹を割って話したほうが喜んでくれるんじゃないかなあ?と思ったりもする。 だ
人生で初めて歌集を読んだ。 作者の人生を読んだような気分になった。 ●読んだ本歌集 宇宙時刻 小関茂 ●感想以前、個人で営まれている書店を伺った際に、かねてより興味のあった歌集を購入した。 正直、歌と言われると百人一首くらいしか浮かばない程度には詩歌に触れずに生きてきた。(大部分の人はそうなのかもしれない) 購入した動機は、写真にもあるようにあまりにも綺麗な表紙と宇宙時刻という、個人的興味をそそるタイトル。 いったい、このタイトルでどういった内容の詩が歌われているんだ
義母が懸賞で当てた(すごい)ということで、やや分不相応なホテルに泊まる機会を得た。 琵琶湖のほとりにある広大な敷地に入るとまるで異世界のようだった。 やや萎縮してしまうレベルだったが、そこは縮こまるよりは背筋を伸ばして堂々とするのが一番いいので、ピシッと背筋を伸ばして歩く。 部屋も広く、ご飯も美味しく良い1日だった。 こんなところでなんだが、ジムにも初めて行った。 運動は気持ちよく、普通に通いたくなったがこういう非日常だからこそ行けるんだなと思う。 飽き性な私は継続でき
通勤途中に、道路沿いに生えている草が私の身長を超えていることに気がついた。 三連休を挟んだのもあるかもしれないが、成長が早い。 毎日見るものの成長はパッとは分かりづらいもので、なにかの指標を超えた瞬間にそのものの解像度が上がって急に成長を認識するように感じる。 同級生の弟や知り合いの子どもなんてまさにそんな感じだ。 対して、自分の成長のなんとわかりにくいことか。 自分であるがゆえに客観的な指標があまなく、変化が本当にわかりにくい。 私も日々取り組んでいることで、成長でき
週末は地元に帰省した。 理由は、アニメ「負けヒロインが多すぎる!」の舞台となった場所を友人に案内するためだった。 地元を観光なんて滅多にしないものだが、なかなかどうして面白かった。 もう目に焼き付いて離れないとすら言える地元の景色を、「ここはアニメの◯話で、◯◯してたところで……」なんて話ながら歩いていると、地元の景色もどこか新鮮に見えてくる。 豊橋に住んでいた頃は年パスで通って写真を撮っていたのんほいパークにも久しぶりに行くことができ、懐かしい動物達の姿をみることができ