大人になって自由になった
待ち合わせ場所にやってきた友人は、髪の毛を切ったばかりらしく、何だか他所の人のようだった。
6月の東京は、突然夏がきたようなじっとりと暑い日が続いている。
あたしは駅の出口にもたれかかって、友人を待っていた。
「お待たせ」
軽やかに現れた友人は、ずいぶん短く髪を切っていて、1ヶ月前と別人のようになっていた。
「来てくれてありがとう」
何よりも先にお礼の言葉が出てくるのは、彼の美徳だ。
「なんてことないわよ」
そこは友人の職場の最寄駅だが、あたしの自宅から20分も離れていない。実際のところ、なんてことない距離なのだ。しかし、暑い。
古い道には濃い緑陰が続いている。あたしは日傘をさした。
「朝ごはんは何食べた?」
唐突に友人が尋ねるので、あたしは正直にピザパン、と答える。すると友人はおかしそうに笑った。
「お昼ご飯、ピザが候補だったんだけど」
「別にピザでもいいのよ」
それはダメだ、と彼はなおも笑って、パスタはどう?と聞く。このあたりに美味しいパスタのお店もあるのだ、と。
友人が夕方からミーティングがあると言うので、それまでの間あたしたちは、ぶらぶらとその辺を散歩した。途中、博物館に入った。そこであたしたちは植物や動物の標本をみた。古代の土器や鏡なんかも。
そうしながらあたしは、すぐそばにいる友人の横顔もじっと観察する。
その博物館では、古代都市国家の形成に関する特別展が行われていた。
「予習してきたんだけど、おもしろいよ」と友人は言う。
あたしはこの手の展示をちゃんと理解できた試しがないので、尻込みしてしまうが、友人の手前、背伸びをして展示に見入るフリをする。
「そっちは出口だよ」と友人はまたおかしそうに笑いながら「こっちこっち」と手招きした。
すでに内容を把握しているらしい彼は、パネルの簡単な解説をしてくれる。
それでようやくあたしは、川の流域に文化が誕生したこと、水源の確保が必要だったこと、作物を育てていたこと、文字が生まれたこと、争いや暴力があったこと、そして地域外から異邦人を受け入れていたことを理解する。
友人はゆっくりとした口調で「都市が人を集めるのか、人が集まるから都市になるのかってこと」と締めくくった。
あたしは頷きながら、この友人が学生時代に都市計画を研究していたらしいことを思い出していた。
しかしそのころの彼のことをあたしは知らない。あたしたちは、出会ったころすでに20代後半と30代前半の大人だった。
「ご飯、食べにいこっか」
友人が楽しそうにそう尋ねる。
「いこういこう」
あたしたちはふざけて肩をぶつけ合い、そして少しだけ腕を互いの体にまわす。それは友人同士のゆるやかなスキンシップだ。
あたしたちは、もう十分に大人で、さまざまな男女の関係性があることを理解している。
若い頃は、何もかも白と黒で割り切れるのだと思っていた。そしてそれが正しいのだとも。ところが世界はぜんぜん、まったくそうじゃなかった。
それを認めてからあたしは、とても自由だ。あたしたちは互いに程よい距離をあけて、来た道を下った。
あたしたち二人の間を風が通り抜けていった。