当たり前のことを当たり前に
こんにちは。あむです。
僕は、他人からの目をいつも気にして、人からよく見られようとする癖があります。
俗に言う「いい子ちゃん」と言うやつです。
ドがつくほどの真面目で、学校で制服は着崩すことはなかったし、部活や勉強では先生の目の届かないところでサボってるのを尻目に、馬鹿正直に真剣に取り組むような学生でした。
社会人になってからも、そのど真面目さは変わることはなく、任された仕事は完璧にして提出し、余裕があれば期待以上の内容にしようとするなど、周りより優秀であろうとする意識高い一面も惜しげもなく、晒してきました。
幸い交友関係には恵まれて、こんな僕を妬んだり僻んだりする人はいなかったし、お世辞も含まれていたとは思いますが、僕の周りには褒めてくれる人ばかりでした。
でも、時々思うんです。
僕はなんでこんなにど真面目で、「いい子ちゃん」であろうとするのだろう?と。
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僕は昔から確かに比較的いい子ちゃんな方ではありましたが、小学生の頃まではそこまでど真面目だったかと問われれば、まだそんなことはなかったと思います。
じゃあ、いつからそんなにど真面目になったかと問われれば、中学1年の時の担任に口癖のように言われた、
「当たり前のことは当たり前に」
という言葉に影響しているように思います。
「当たり前のことは当たり前に」
この言葉自体は、そんなに特別なものではないでしょうし、寧ろありふれた言葉の一つでしかないとは思います。
でも、何を「当たり前のこと」と考えて、どのようなレベルで「当たり前に」こなすかは、人によって認識が異なるんじゃないでしょうか?
僕にとって、「何事も本気でやる」ということが「当たり前」でした。
それは、学生時代もそうですし、社会人になってからもそうです。
高専時代の最後2年間のほとんどは、自慢になりますが、ずっと学科主席をとっていましたが、当時も、今ですらも、
「周りが本気でやってないから僕が1番点数が良かっただけ」
と謙遜ではなく本気で思っていましたし、そう公言していました(今思うと嫌味なやつですね笑)
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なんでこんなことを急に書いたのかといえば、もうすぐ転職するので、後任の方に今の仕事の引き継ぎを今日やっていたのですが、その際に、その方から少しお褒めの言葉をいただきました。
その時に、パッと出た言葉が、まさに
「当たり前のことを当たり前にやってるだけですよ」
だったからです。
でも、今日その方と話していて思ったのは「当たり前のことを当たり前にやる」ってことを「当たり前にやろうとしている人」って意外と多くないんじゃないか、てことです。
ましてや「何事も本気でやる」「昨日より成長できるよう努力する」を「当たり前にやること」と思ってる人ってだいぶ限られたりする気がします。
そう考えると、「当たり前のことを当たり前に」できるってすごい才能なんじゃないでしょうか?
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昔は「いい子ちゃん」「真面目くん」と言われるのがなんとなく嫌だと思っていた時期がありました。
それは、「人に言われたことに従って生きている」感じがしたからかもしれません。
「他人の目を気にして生きている」ように思われていることが恥ずかしかったのかもしれません。
でも、そんな風に「当たり前のことを当たり前に」こなすことで、多くの人が体験できないような役職を任せてもらえたり、たくさんの成長をする機会を得ることができたりしました。
これからも「当たり前のこと」をどんどん更新していって、それらを「当たり前に」こなせるよう努力し、どんどん成長していきたいと思います。