ハートにヒビが入るほど綺麗な海を探しに行く物語-12-
あらかたの客は帰ってバンダの下の寝椅子も少し空席が見られた。
帰りの船はいつ来るの?と問いかけたら、船が来たら呼ぶからバンダの下にでも座って待ちなさい、と言われた。
いろいろなことがあってもうクタクタだった。
最初あれだけお金がかかることを気にしていた寝椅子のレンタル料も、もう払ってもいいから静かに休みたいとも思った。
空いた寝椅子に横たわり、リュックからヴァージニアのDUOを出した。
小さな細長い箱には2本しか入っていないが、そのうちの一本に火をつけてゆっくりと吸い込む。吸い込んだ紫煙が徒労とともに吐き出された。
瞬く間に細長いたばこは白い灰になって落ちた。
残ったフィルターの火を指で揉み消し、リュックの中の空いたお菓子の袋に詰め込むとしばし休むことにした。
夕の直射日光は塩水を浴びた肌に厳しかったが、顔に黒い中折れ帽をかぶせ日を遮ると、肌の焼けつきも気にならずあっという間に眠りに落ちた。
時々タンザニア人の子供が珍しそうに顔を覗き込んでベッドの周りをうろうろしていたがまぶたに接着剤でもついているように開かなかった。
たった一日の間、5時間ばかりの間に起こった様々な出来事を数十分の眠りのうちに反芻した。夢のような物語の中に自分がいた。だけれども全て現実で体験した。
何度も危機に遭遇した。それでも運良くそれらの危機を回避して、今自分がここにいる。
それらの経験は少なくとも自分の中にまだ矛盾だらけのこの国の中で生きていける、という自信をもたらした。
いろいろなものに守られてきたから気付かなかったが、生きていくというのは唯それだけで大変なことだ。
言葉もろくに通じない異国の地で初めて、守ってくれていた頼りにできる友達もいない中で、無人島に辿り着けたのは一つの偉業だった。
これからは、留学期間中、大学に留学している日本人は一人。日本人コミュニティに閉じこもって閉鎖的に時間を過ごすことはできない。
これから新しい学期が始まり、現地で学友を作り、授業も自分の力で乗り越えなければならないのだ。
それの前段階として一人での無人島冒険は良い通過儀礼となった。
日本にいたとき、生きているのも死んでいるのも大して違わないような毎日を送っていたが、今は、生きていることは死ぬるのと違うとはっきり言える。
きっとタンザニアが死に近い国だから、鏡の中の自分では直接見ることのできない自分の姿をじっくり見るように生きることを見つめなおすことができるのだろう。
遠くで声がした。
目をあけると沖に白い船が到着していて、小舟に客を集めていた。
あたしは最後の煙草に火をつけ、その光景をゆっくりと眺めた。
乗客と従業員が手早く帰り支度をし、ビーチを後にしていく。
今夜はこの島に泊まる人はいなさそうだ。
ボンゴヨ島は元の無人島に戻っていく。数多の自然に生きる命と危険が満ち溢れた島に。
最後の灰が地に落ちた時、スナックの空き袋に再び吸殻を詰め、リュックの中に詰め込み、バンダの下を発った。島にいた人々が船に全員乗り込み誰もいなくなった。
愛すべき島を後にした。
船の潮風に顔をなでられながら遠ざかってゆくボンゴヨ島を見た。
夕陽に照らされた島の周りには、くびれた岸壁など最初からなかったかのように満ち潮が島の周囲を覆い隠していた。
夕の波は高く、私たちを乗せた白い船を突き動かした。
スリップウェイの干潟に転がっていた朽ちた小舟は満ち潮に揺られて浮いていた。
ハートの欠片は太陽と共に透明なボンゴヨの海の底に沈んでいった。