アラザンやカラーチョコスプレーでしか表せない青春の煌めきのような儚くも美しいものがある
今年で人生25回目のバレンタインだった。
だからと言って何も無いのだけど、
先日は百貨店の催事に、仕事終わりに向かうと人が多過ぎて、
見物も買い物もそこそこに、サッサと退散してしまった。
美味しい高級なチョコは勿論魅力的ではあるが、
私はまだバレンタインにおける友チョコ交換のような、
チープでキュートでファンシーな物の方に惹かれる部分がある。
小中高時代は、スーパーマーケットで大量の板チョコを購入し、
お菓子を作ったけど、ここ数年は手作りチョコをしばらく作っていない。
クラスの友達や、部活の友達、家族、自分用……など渡す人数に合わせて、
作る品物を考えて、材料を揃える。
そして全員に同じものを渡すのではなく、
特に仲良しの子や、お世話になっている人は内容が凝っていたり、内容量が多かったりする。
渡す予定が無かった子からチョコを貰った時に、すぐにお返しできる用のチョコも用意していたのが懐かしい。
大学生以降はバレンタインに手作りチョコを渡すこともほとんど無くなり、
ここ数年は、この季節が来ると小中高の鮮やかな思い出が蘇る。
小学生の頃は、お菓子を持ってきてはいけないルールがあったので、
毎年この時期になると先生が「学校には持ってこないように!!」と注意喚起をするのだが、
そんなことはお構い無しである。
ランドセルを背負ったその小さな身体の右手には、
大量のチョコが入った袋をしっかりと持っている。
ガールズはしゃんとして堂々と校門を潜るのである。
アラザンやカラーチョコスプレーでしか表せない青春の煌めきのような儚くも美しいものが、
バレンタインにおける、
ガールズによる不器用な手作りチョコにはあるのだと思う。
子供騙しのような即席の輝きでも、
鮮やかで自分自身を鼓舞してくれるようなもの。
そういったものを最近あまり摂取できてないから、
あの頃のように、不器用ながらも一生懸命で、何事も純粋に楽しめるエネルギッシュなガールになれないのでは?などと思ってみたりもする
もっと大人になっても、
そんなものを大切にしていかないと私はきっとダメな人なんだろうな、
と漠然と思うのであった。