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「THE帰省感」

「帰省」と聞いて、イメージされるのはどんなものか。

都市部に実家があり、「THE帰省という感じがない」という人や、
近場から近場へ移動しただけで、特に何も特別な気持ちがしないという人もいる。
都会か田舎という観点だけでいうと、THE帰省感があるのは「都会から田舎へ帰る」というものだろう。

ただ、当たり前だがそれぞれの家庭やその人自身の年代によっても、帰省に対するイメージや位置づけは異なり、
「帰省のあるある」や「帰省ならでは」というものが必ずある。
私の人生における、「THE帰省感」に関して、考えてみることにした。

今年の夏はお盆期間に台風が来ていたので、
自宅に戻れなくなることを危惧し、実家や祖父母の自宅へ行くのをやめていたのだが、

9月の3連休は、台風の心配も無かったので、
改めて帰省をしようと急に思い立ち、
両親に連絡を入れた。


私の実家は四国にあり、
大阪からは明石海峡大橋を渡る高速バスが出ているので、
混んでいなければ約2時間半で行くことができる。

金曜日の晩に仕事が終わり次第、高速バスターミナルへ直接向かおうと思い、
スーツケースを朝から持って出勤したのだが、
朝のラッシュ時の御堂筋線に、スーツケースを持って乗車すると
近くに乗車していた男性から、
あからさまに苦い表情を向けられてしまった。


それもそうだろう。
私の仕事の出勤服は基本的に私服で、現地で着替えるようになっているので、
スーツであれば出張か何かかと思ってもらえるが、
完全に気楽でラフな格好の旅行者がわざわざラッシュ時に、
仕事モードの人で溢れている電車に乗りこんでいるような構図になってしまった。
ただでさえ、目立つ真っ赤なスーツケースに対して、私は思わず目を覆いたくなった。


連休前の仕事は特にトラブルもなく終わると、
そのままバスターミナルへ向かい、
約2時間半揺られて、目的地の駅にバスが停車した。

母親が駅まで迎えに来てくれた。

グレーの軽自動車は、今話題のビッグモーター社で約1年前に買い替えたとのことだ。
いつも車で駅まで迎えに来てくれるのだが、
「高速バスが〇〇町のくら寿司を通過したらLINEしてね」と毎回LINEが来て、
くら寿司が見えたらLINEをする。
そして高速バスが駅に到着すると、
近くに停車した車の運転席に座る母親が既にスタンバイし、手を振る姿が見える。
この流れこそが、親元から離れ暮らし始めて6年半の私の帰省のルーティンであり、幕開けとなる。


私は実家に住む前は転勤族で、
引越しを何度か繰り返し、幼稚園や学校を転々としていた。

やがて実家に住み始めて、それからは父親が単身赴任で引越しを繰り返していた。

変わらない地元でずっと幼少期から暮らしていた人を羨ましく思うことがたまにある。
幼馴染のような存在は私にはいないが、
そんな存在の人がいれば、帰省した時にはきっと懐かしさを感じながらお酒を酌み交わすのだろう。

実家のある場所は車社会で、公共交通機関も不便であり、私が親元を離れひとり暮らしを始めるまでのメインの交通手段は専ら自転車か、両親が乗せてくれる車だった。
車の運転に関しては、いつもいつの間にか目的地に着いていたので、
何処に何があるのかをそんなに意識していなかったし、
自分でちゃんとわかるのは、
恥ずかしながら自転車で漕いでいける範囲の場所しかない。

とても狭い世界で生きてきたせいか、
正直イマイチ今でも地元の土地勘はそんなに無い。
ペーパードライバー1級の私だが、
車を運転することで帰省中の生活をもっと充実させたいと思いながら、いつもできてないないのが現状である。余談ですが。




金晩21:30頃に、母親の車で自宅に到着した。
ラフな室内着を身にまとったオフ感満載の父と姉が迎えてくれた。
皆この時間だからもう夜ご飯は食べてしまったと言っていたが、
私の晩酌に付き合ってもらうような形で、
リビングダイニングで母親が作ってくれたおかずを皆でつつきながら、近況について話した。

翌朝は、先日お盆の台風で行くのを中止していた、
父方の祖父母と母方の祖父の家に遊びに行くことにしていた。

いつもは家族4人で行っているのだが、
今回は両親はそれぞれ予定があり行けないということで、
暇を持て余していた姉と一緒にJRに乗って行くことにした。

約2時間半JRに乗り、
まずは父方の祖父母に会いに辿り着いた地は、「THE田舎」という緑に覆われた町である。

深呼吸した際、澄んだ空気が体内に入ってくるのをしっかりと感じられた。

めちゃくちゃ田舎ではあるのだが、
祖父母の自宅はいわゆる駅近物件で5分ちょっと歩けばたどり着く。

道中にあった、田舎ならではの24時間営業ではないよくわからんコンビニにて飲み物を買う。


祖父母の自宅が見えてくると、祖母が玄関から出て手を振ってくれている。
80歳を過ぎているが、しっかりと立っており手を振ってくれる健康的な姿に思わず安堵する。


お昼前の到着だったが、早めに食事をした。
いつも祖母が作ってくれる山菜のワラビの煮物が大好きだ。

山菜は中国産のものであれば安く買えるが、
国産のものは高級食材と言われるほど、高値で売買される。
日本国内には山菜の販売で生計を立てようとする人もいるようだ。

田舎では結構取れるもので、
いつも知り合いが大量に持ってきてくれるのだという。
田舎ならではの富だ。
物々交換が毎日のように行われているような話を聞くと、やはり田舎は人と人との繋がりが強固であると感じる。


祖父母の家は、今も理容店を営んでいる。
小学生のとき両親と帰省する度に、恒例行事のように髪を切ってもらっていた。

中高生になると美容院に行くようになり、
もう約15年切ってもらっていなかったのだが、
久々に祖母に切って欲しいと頼んだ。


陽射しと観葉植物とミディアムボブ

銀のハサミで15センチ程、おばあちゃんの手慣れた手つきでシャキシャキと切られていく。

おじいちゃんも菩薩のような優しい表情で、
見守るように後ろに立って見てくれていた。

仕上がりはかなり良い。
おばあちゃんがドライヤーで丁寧にブローしてくれて、
ふんわり内巻きの癖毛を生かしたスタイリングになった。

切ってもらった後は、自分でちりとりとホウキを持って床に落ちた黒い髪の毛を掃除した。

良い仕上がりに大満足し、その日は何度も「おばあちゃんありがとう」と思わず言ってしまったし、鏡を見る度に幸せであたたかな気持ちで溢れた。

その後15:30頃までお茶を飲んでから、祖父母とはお別れした。
姿が見えなくなるまで、玄関から外へ出て出て手を振ってくれた2人をとても愛しく思う。

最寄り駅からまたJRに乗り、揺られること30分。
目的の駅に到着すると、駐車場には蛍光緑色のゴルフウェアと白いキャップを身にまとった母方の祖父が運転席に座っているのを発見。


車の運転がスムーズ過ぎて、驚く。
ハイエースをずっと運転していたが、中型車にいつのまにか買い換えていたようだ。
母方の祖父は結構長身なのだが、そのせいか見た目だけだと老いを感じにくい。今年80歳になる。

祖父の自宅に到着し、16時頃から缶ビールを頂きながら近況について話した。

実は祖父に最後に会ったのは、コロナ前で、
今回は3年半から4年ぶりの再会となった。

見た目だけだと老いを感じにくい祖父だが、
これ程長い間会っていないと、
足腰の調子が悪そうな姿を見た時に、
あの時とはもう違うのか、と確かな時の流れを実感した。


親戚や兄弟は既に亡くなっているか、老人ホームに入っていたり、病院に入院しているという話になり、
『この歳になると人に会う度に、
「これが最後になるかもしれない」と思うようになる』とふと祖父が息を吐くように静かに言った時、はっとさせられた。

私は1日1日の人との出会いや繋がりについて、
これほど真剣に考えられているだろうか。
いつでも会えるから、と漠然と思いながら時が過ぎているのではないか、と。



夕日が出てきた頃に、約15年前に亡くなった祖母のお墓参りに行った。
汲んできた水をお墓全体にかけ、姉と私と祖父でタワシで掃除する。
お花の花瓶の水を交換する。墓前に置くお米も新しいものへと交換する。
もう9月の中盤は、夕方になると少し涼しさを覚える。
花瓶に入った花々が、風によって微かに揺れていた。

25歳になった私に、祖母は今会えたらどんな言葉をかけてくれるのだろうか。
私はきっと幼いあの頃と変わらず、「おばあちゃんの作ったほうれん草のお浸しが食べたい!」と無邪気に言うのだろう。


お墓参りの後は近所の居酒屋へ行き、お酒を飲みながら食事をし、
その後祖父がよく行くスナックへと連れて行ってもらった。

演歌をこぶしたっぷりで歌い上げていた


祖父の知り合いの70代の男性と女性が来店した。
70代の男性が私にハイボールを注文してくれた。
少しばかり酔った私もユーミンの『青春のリグレット』を歌って、つい楽しくなる。


アルコールの力を借り、はりきって歌ったものの、
いわゆるド真ん中ユーミン世代より少し上の世代ということもあり、「松任谷由実はこんな曲があんのか、なんかようわからんけどええな」と祖父に言われた。

「なんかよくわからんけど良い」と聞いて、
毎日せわしく物事に関して、何かを好きだと思う理由も何故なのかと、
思いをぐるぐる巡らせてしまう私に相反して、
祖父のように直感で良いと思うものを、『ただなんか良い』とただ口に出して言えるということの無垢で主観的な心の動きの素直さや素晴らしさは、常に客観的な視点を気にし過ぎてしまう私が忘れかけていたことだった。

そうこうしているうちに、帰りのJRの電車の時間が迫ってきたので、店を出た。
店内からカラオケの音と歌声が少しばかり漏れている。
鼻から吸い込んだ空気は涼しく、鈴虫が鳴く音が聞こえる。

祖父が駅まで送ってくれた。
両親のいる実家の最寄り駅まで約2時間半また揺られる。

帰省とは、育ってきた環境や年代によって感じ方が異なる。
“今”の私にとって、『帰省』とは忘れかけていた何かを思い起こさせてくれるあたたかなものであり、
これからもそうであり続けて欲しい。

最寄り駅から実家までの帰り道は、
祖父が「持って帰れるだけ持って帰れ」と渡してくれたじゃがいもと玉ねぎと蜜柑が入った紙袋の重みに愛を感じながら、踏みしめて歩いた。



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