ぐらしあすの「しんどいという言葉の具体化について」
本当に「しんどい」としか言えない。でも、受診の際は、できるだけ今生活上でどんな困難を抱えていて、症状がどのようなものなのかを主治医に伝えようといつも考える。
でも、いざ受診となると、限られた時間の中で言いたいことの半分も、いや3分の1も言えないことが多い。
ぐらしあすの場合
①生活面では
相変わらず部屋を片付けられず、散らかっている。片付けたい気持ちはあるが、いざ片付け始めると、これはどこに置こうか、あれはどこに置こうかとは思うのだが、思考が整理できていないので、結局、1つの箱に何でもかんでも入れてしまう。結果探しているものがどこにあるのかわからい状態になる。イライラする。
炊事は、ほとんど鍋。白菜、豆腐、しめじかしいたけ、豚肉か鶏肉を水炊きにしてポン酢で食べる。こればっかり。
どうにも面倒くさい時はインスタントラーメン。
洗濯は、着終わった服を洗濯機にいれるも、まわすのが面倒でやらない。
そうじは、やらない。
生活リズムがめちゃくちゃ。
ただ、ヘルパーさんが週に1回家事援助で来てくれるので大助かりしている。
②症状の面では、朝起きて、今日は仕事か、いやだなと思う。昨夜の鍋の残りにもう一度しっかりと火を通し、また、豆腐か中華そばをいれて食べる。
スーツを着る必要がないので、そこらへんの服を着る。頭の芯のあたりがどんよりする。出勤する前にもっていくものを忘れないように一つにまとめる。そして、ガスの元栓と蛇口、窓のカギがかかっていることを確認する。この時点で疲れる。さあ家を出ようとすると、鍵をすぐに取り出せる日もあれば、探さないといけない日もある。そしたら今度はケータイ、そして充電器。何はともあれ薬だけは忘れると眠れないのでカバンの中を確認。家をでて扉の鍵をしめる。そして外に出るももう一度ドアのカギがしまっているかどうかの再チェック。こんなことまでしないと気が済まないのかと情けなくなる。いったいぐらしあすの脳はどうにかなっているではないかと心配になる。出勤して、やっぱり頭の芯から前にかけてどんよりする。
顔から生気が出てないのを自覚する。ぐらしあすは普通にしていても怒り顔なので、むりくり表情を柔らかくしようとするも、仮面をつけ続けるのに疲れ、途中から左目のあたりがピクピクし始める。
表情がこわばるので、人の顔を見れない。情けない。自己嫌悪に陥る。
夕方になると、さらにどんよりとし始め、表情が気になる。何かをやろうという気持ちになる日と、なんにもしたくない日、或は1日の中でも気分の変化が激しい。ずっとつづくぼんやり感。いつも何かにおびえているようで、抗不安薬を飲む。自然体ではないから余計に気を揉む。
仕事が終わり帰宅すると、服やズボンを適当に放り出して、晩酌ならぬ朝酌でビールを飲む。酒量が増えてきた。眠くなり少し寝る。起きても何もやる気がせず、You Tubeなどをぼーっと見ている。ギターでも弾いてみようかと思うも、結局その気にならずギターすらも触らない。結局無為自閉で睡眠過多の日を過ごす。
朝起きて、昨夜何もしなかったことに後悔し、自己否定感に襲われる。
そんな日々の繰り返し。ぐらしあすはいったいどこへ向かっていこうとしているのか。古ぼけた小舟にのって、波にゆられてゆらゆら。
希望という言葉を見失う。
簡単に書くとそんな感じ。
このような内容を凝縮して主治医に話すのは難しいしもどかしい。
いっそのこと、主治医にぐらしあすのNOTE記事を読んでもらうのが、もっともわかりやすく、効果的だとも感じるときがある。
ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。