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(小説)白い世界を見おろす深海魚 35章(夜の水泡)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎は、ライター職として活躍している。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーンビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を受ける。

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35

 地元のFMラジオの音と塩素のニオイ。金曜日の夜は、いつも静かだ。
 同じくらいの年齢の若者達が遊び場へ繰り出している時間帯に、ぼくは相変わらず区民プールで泳いでいた。この場にいる少ない利用者を見ていると、余程泳ぐことが好きな人間か、健康マニアに思えてくる。

 クロールをしながら、受付で見掛ける女性を思い出した。歳は同じぐらいだろうか。長い髪を後ろで束ね、白いポロシャツを着ている。化粧っ気のなさと、ゆったりとした喋り方。
 柑橘系のほのかな香りを漂わせながら早足で社内外を動き回るスーツ姿の塩崎さんとは正反対の女性で、ぼく達とは別の世界の人間のようにさえ思える。

 プールからあがり、デッキで横になる。息を整えながら、白く高い天井に取り付けられた黒ずんだ蛍光灯を眺めた。

 彼女は金曜日の夜に働いていることを、どう思っているのだろう。誰かと遊びに行ったりしないのかな。恋人はいるのだろうか。いるとしたら彼氏と休みは合うのだろうか。そんな余計な心配をしてみた。

 監視室のわきに置かれている巨大な針時計に目をやると、閉館の時刻が迫っていることに気がついた。簡単なストレッチの後、シャワーを浴びる。更衣室でスーツを着ているとき、携帯電話の着信があったことを知らせるランプが明滅していた。ディスプレイには『ミユ』と表示されている。
 あぁ、携帯の番号を教えたんだっけ……。

 彼女が今週の頭に、話したいことがあると言っていたのを思い出した。
 スポーツ施設を出たところで、ミユに電話をかけた。

「もしもし……」
 予想通り、水泡が弾けるよりも小さな声が聞こえてくる。

「こんばんは」と、寒さで震えた声であいさつをすると、彼女も「こんばんは……」と返してくるのが辛うじて聞こえた。

「電話にでられなくてゴメン。どうしたの?」

「うん、ちょっとお願いしたいことがあって……」

 そう言った後で、少し間を置いてから「明日、空いている?」と訊いてきた。

「うん。まぁ、午後からなら」

 頭のなかで今日やり残した仕事の量を思い浮かべる。

「じゃあ、四時に会おうよ。場所は……」

 ミユが告げた場所は、ぼくの住んでいるアパートから2駅の距離だった。歩いたら30分といったところか。バスケットボールの帰り、ミユが住んでいるところは、ぼくの近所であることを上山が話していたのを思い出した。

「じゃあ、また明日……」と電話を切ろうとする声が聞こえた。

「お願いしたいことって、なに?」
 慌てて遮る。明日、突然言われるよりも事前に知っておきたい

「ちょっとね……」と間を置いてから「仕事のことなんだけど」
 呟くような声を出した。

 仕事?

 ぼくの仕事とミユの仕事の関連性について考えてみたが、なにも分からない。そもそも彼女が、どんな仕事をしているのか。スーツ姿でオフィスビルの下にいたミユを思い出す。保険のセールスでもやっているのだろうか……ということは、ぼくを勧誘させる気なのか?

「詳しいことは明日、話すね」という声が聞こえて、電話が切られた。出会ったときから思っていたことだが、ミユは、ぼく以上にコミュニケーションがヘタクソだ。一方的で、相手を考慮する気持ちが少ない。きっと上山も苦労しているんだろうなぁ。

 ため息をついて、冷えた首筋をコートの襟で包みながら帰った。

つづく

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#創作大賞2023


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アメミヤ
リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。