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本 『水中の哲学者たち』
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『水中の哲学者たち』
永井玲衣
とてもとてもおもしろかった。
永井さんの思考、感情、表現が個性的で憧れる。なのにとてつもなく読み手(私)にフィットして読んでいて心地が良い。おもしろい。
哲学研究者であり、こんな素敵なエッセイを書かれる永井さんが特別な人に思う一方で、私と何ら変わることのない一人の小さな人間であるということが、哲学をより身近に感じさせてくれた。
帯文の穂村弘さんの言葉がとてもしっくりきて素敵。
哲学って、難しく考えることであると思っていたし、学問であると思っていたから「哲学する」というと、それなりに格好を付けるものだと思っていたけれど、この本を読んでいる今そのままの私すら、著名な哲学者たちと同じ水中にいるということに気付かされた一冊。
この全然納得のいかない世界にも自分自身にも疲れ始めていたこの頃に、わからないことに対して「問う」ということ、そしてその先に答えはないということ、だけど他者と共に問い続けるということに、とてつもない意味と安堵を教えてくれた。
とくに1章「水中の哲学者たち」を読んで何度も心がぎゅっとなった。
そのときに書き留めた文章を最後に。
ーーー
私は答えが欲しかった。終わりが欲しかった。正解が欲しかった。
根拠も理由もなく突如身に降りかかった異変と苦痛について、私は延々と考えていた。耐えられなくなった時には、縋るように母に問うた。だけど明らかになることはなかった。足のつかぬ海をただひたすら踠き泳ぎ続けるには、この先に終わりがある、救いがあると信じるしかなかった。そうでなければ力尽き、死んでいただろう。
だからなのか、私は常に無意識的に答えや正解を求めて生きて来たように思う。今だってきっとまだ求めている。
そこにこの本を読んで、この世界はなにもかもぜんぜん「わからない」のだということを知ったとき、少しほっとしたような、じゃあ私はどう生きればいいんだ!と腹立たしく思うような、そんな微かな気持ちが一瞬動いた。
今は「わからない」ということに納得はできない。してしまえば途端に、泳ぎ続ける手足から力が無くなっていく気がするから。
だけれど、「この世界は私がいる一部だけではない」ということは救いになるかもしれない。もう手詰まりだと思って呟いた言葉に対し、母が「こうすれば変わるかもしれない」と言ったとき、再び泳ぐための余力が湧いて来たことがあった。他者の「問い」で世界が開かれるなら、もう少し泳げるようになるかもしれない。そう思った。
読んでいて、私自身が水中にいることに気付かされた感覚と、答えがないのだから納得がいかないはずなのに、なにかどうしてか救われたような擬似感覚で、少し涙が滲んだ。
ーーー
以前永井さんの哲学対話に参加した際にこの本を購入しました。読んでからお会いしたかったと、今となっては後悔😊💦
また哲学対話に参加できたらなぁ。