フェンシングとワッフルの夜が明けて
娘の友人が美味しいワッフルをたくさん持って遊びに来てくれた。
その夜、グリルで温めて食べながら、徹夜で海外ドラマの最終回を観た。
今、明けた朝に、またワッフルを頬張りながらこれを書いている。
ドラマでは、フェンシングにかける青春と仲間達。荒れた時代の家族模様と恋。
長いストーリーを追うより、いつしか登場人物の応援者のようになっている私がいた。
好きなものがある人は強い。それが圧倒的な自分を作るから。
そんな相手に対して、対等に生きるという愛。自分自身を生きようとする力。
当然のように、恋愛にはすれ違いも出るようになる。
それでも自分を捨てない、相手の人生も同じように認める、という難しさ。
自分のやるべきことをやる。
それぞれがそれぞれを生きながら繋がり合う。
ある意味、人として理想の関係を、素晴らしいと見るか哀しいと見るか。
良い人と出会うにはどうすればいいか?
という質問や相談が、私のところに多くやってくる。
それはもう、一択だろう。
自分を生きればいい。
誰かに好かれる、喜ばれる自分ではなく。
自分の好きを見つけて思いっきり生きればいい。
自分のやるべきことをやるのだ。
類は友を呼ぶという言葉があるように、簡単に言えば、気にいる自分になれば気にいる人が現れるということ。
さらに言えば、気にいる自分になっていけばいくほど、波長の合わない人とのズレは大きくなる。それを正す勇気も必要になる。
そして、「別れの言い出し方」「別れの終い方」に人間性の全てが出るともいう。
ドラマの中にもその場面は大切に描かれ、人は言葉で人生を形作るものだと強く感じた。
言葉で納得し、言葉で進んで、言葉で決着し、言葉で寄り添い、言葉でわかり合い、
胸に持つその言葉で生きていく。
自分を生きるには、そのつど自分の持つ言葉が必要なのかもしれない。
ドラマの主人公役の女優は、主演女優賞を受賞。
良いドラマや映画との出会いは、宝石のように心の中で光り続けて、現実にもたくさんの光を見させてくれる。
それは希望というのとも違っていて、もっとリアルで、手ごたえのあるものだ。