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第147回 寛平御遺誡 の巻
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宇多帝が息子・醍醐帝に譲位するにあたって天皇の心得をまとめた文書が残っています。
4人の重臣を重用するようにと伝えているのですが、その4人とは道真、時平、平季長(たいらのすえなが)、紀長谷雄(きのはせお)。
特に道真に関する部分に紙面を大きくとっており、その絶賛ぶりからも宇多帝の道真に対する信頼度が伺えます。また、平季長、紀長谷雄ともに道真の弟子であり右腕といってよい存在。宇多帝の道真偏重がここでも明らかです。
面白いのは時平に関する記述。
時平を「第一の臣下」と持ち上げているようで・・・よく読むと「官位が一番上」といってるだけに読める。
さらに「功労者(基経)の跡継ぎ」と、あくまで「お父さんは偉かった」という事実を述べた後で「若いのに政治に詳しいからよく教えを聞きなさい」と。
さらに続けて「最近女性問題起こしたけど私はぜーんぜん気にしてないのデス」。
永久に残る重要文書に…時平の一時的な醜聞をわざわざ書き込む、この性格の悪さ! 笑 宇多帝の「時平イジリ」、なかなかのものです。
しかし、この記述でポイントになるのは宇多帝と時平の関係性。
ちまたの道真解説本では「宇多帝は藤原を抑えるために…ウンヌン」とか「宇多帝は藤原時平と対立し…」などと書かれているものが多いですが、この記述を見ると対立どころか、宇多帝は完全に時平にマウントをとっていることがわかります。
冗談半分?でこんなことが書けるほどの関係性ととれなくもないです。
いずれにしても、これは宇多帝の養母である藤原淑子が時平の後見人であることが大きいでしょう。
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ちなみに藤原時平が叔父の奥さんを奪う話は『今昔物語』で有名。
このエピソードを素材にした文豪・谷崎潤一郎の小説『少将滋幹の母』があります。大好きな嫁を時平に奪われるお人好しな叔父・国経(くにつね)の心理描写がナマナマしいです。
ただし『寛平御遺誡』に書かれている時平の女性問題がこの時のものを指すのかどうかは不明です。