焼きトウモロコシ屋のおじさんに、メンチ切る
小4の頃、お祭りで焼きトウモロコシ屋のおじさんに、メンチを切った。
一列に並べたそれの中で、一番小さくて細いのを渡してきたからだ。わたしは眉間にシワを寄せ、口を横に割りながら睨む。
(チビだからって、ナメんじゃねーぞ。おっさん!)
ドスのきいた声を出す。ただし、心の中で。小さなトウモロコシを握りしめながら、母を見つめた。
「500円もするのに、こんな小さなトウモロコシだったよ。お母さん」
「え、そう? うーん。取り替えてって言う?」
「いい。あのオジさん、『やくざ』っぽいから」
「そんな言葉、どこで覚えたのよ」
「怖そうだもんね。お母さん、言えないでしょ?」
「……うん、ママ、こわい」
この出来事で、「世の中には強い人と弱い人がいる」ということを知った。見た目からすると、わたしは底辺である。小さい・細い・弱いの三拍子。祭りの音色も三拍子。ヨイヨイヨイ。
それでも、わたしは負けたくなかった。頭の中では一列に並んだトウモロコシをなぎ倒し、落ちたモロコシを豪快に食い尽くす。それが本当のわたしだ。
だからかもしれない。子どもの頃、いじめっ子の男子とケンカばかりしていた。自分で言うのもなんだが守ってあげたくなるタイプの風貌である。だが、守られる側ではなく、守る側になりたかった。
中学生になった頃、4つ下の妹、次女ちゃんがいじめられているという噂を聞いた。仲良しだったはずの数人の女子だ。妹も、小さくて弱い。だからいじめられるのか?許せん……。
彼女たちの背後から話しかけた。
「ねぇ、次女ちゃんをいじめてるって本当?」
「え?なに? 知らなぁい」
クロだ。この含み笑いは、嘘をついている笑みである。
今度は、数人の女子にメンチ切った。
(てめーら、ナメたことしてると、中学で袋叩きにするからな...)
ドスのきいた声を出す。ただし、心の中で。仁王立ちで般若みたいな顔をしていたと思う。
彼女らは「変なのっ」と言って、走り去っていった。
わたしのせいで妹がもっとひどい目に合っているのではないかと不安になったが、それ以降いじめの話は聞かなくなった。
大人になって人にメンチを切ることは、ない。誰だって面倒は起こしたくないし、顔はにっこりしてやり過ごすことが多いのではないか。
ただ、わたしは今でも、必要なときにメンチは切れた方がいいと思っている。簡単に傷つけられてしまう世の中で、いい人を続けるのは難しい。できればメンチなんて切りたくない。みんなニコニコ、手を取り合って生きていければいいけれど。弱肉強食はきっとこれからも続くだろう。
焼きトウモロコシ屋のおじさんにメンチを切ったとき、わたしのゴングは鳴った。
これは串カツ。
(記:池田あゆ里)
「1000文字エッセイ集」に掲載中です。