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愛想の用法用量

愛想って、良くすれば良くするほど 効果があると思っていたけれど、そうでもないみたいだ。そういう話です。


他人と衝突することはすごく面倒だし、嫌われることは怖い。だから、私の武器はむかしもいまもずっと〝愛想〟だ。にこにこと愛想を振りまいて、下手に出て。八方美人だと指摘されたこともあったけれど、面倒ごとを引き起こすよりはずっといい。
そしてなにより、態度だけで人から攻撃対象とされるのはあまりにも損だと思うから。

ところが、大人になったいま、痛感している。
愛想は必ずしも人間関係を良い方向に持っていってくれるわけではない。


話しかけやすい。頼み事をしやすい。
そんな風に言ってもらうことが増え、嬉しい反面、面倒な仕事が増えてしまったり。
ミスをした人に注意をしても、真剣さや反省が見られなかったり。

要は、
〝私のこと 舐めてますよね?〟
と思うような場面がいくつもあったのだ。

でも、舐めさせてしまったのは他でもない私。
これはよくないな と思い、考えることにした。


また、もう1つ、愛想の〝万能じゃなさ〟を身をもって知った出来事があった。

仕事で責任が生じるようになると、〝責任がないことを証明する責任〟のようなものが必要になったのだ。
下手に出すぎると、私の過失ではないことまで責任を取らされてしまう。波風を立てないために同意し 納得できないまま業務を進めると、そのことについて問われたときに説明ができない。
そんなことが多々あった。


おそらく愛想には、用法と用量があるのだろう。
用法を間違えるとうまく業務を進められないし、用量を間違えると舐められてしまう。
多すぎてもいけないけれど、だからといって一切合切捨てるわけにもいかない。なんて面倒なんだ。


とりあえず後者については、対策を立てた。

〝自分が理解し、納得するまでは業務に取り掛からない〟

これに尽きる。
元々、全体や目的が見えない〝とりあえずの作業〟のようなものが苦手だった。
これってなんのためにやってるの?この先どうなるの?このやり方が一番効率いいの?
考えなくても業務自体はできるけれど、きちんと理解しないと 他者からの質問や応用に対応できない。
そんな〝?〟を、流さずに 積極的に確認するようにした。

周りから 突然噛み付くようになったな…と思われるかもしれない、と心配していたけれど。意外にも、業務に対して積極的 と いいように評価してくれたようだ。

そして、この対策は 思わぬところでも効果があった。
雰囲気に流されず きちんと理解しようとすること。
疑問点は 自分が納得できるまで確認すること

人から受け取った意見をそのまま飲み込まず  一旦受け止めて。反芻して理解した上で、自分としての結論を出す。

時間はかかるけれど、この作業によって 私は私を信用できるようになった。

さて。そんなこんなで後者については概ね解決したけれど、前者については今のところ手付かず。
だって 頼み事は無下にできないし、話しかけやすいと言ってもらえるのは嬉しいし。
でも自分がしんどくなるだけなら、もう愛想を振りまくのはやめないといけないな。

みたいなことを先日、知人に言った。返ってきたのは意外な言葉で。

「意識していたわけじゃなく、自然にそういう風にやってたんでしょう?そんなの直らないよ。背負って生きなよ。」

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