#旅と対話と組織開発 〜Vol.001 石川貴也さん(側島製罐 代表取締役・愛知県大治町)
沢渡あまねが、組織や地域の景色を変えている変革実践者と対話しエンパワーし合う旅日記、 #旅と対話と組織開発 。記念すべき第1回目の対話のお相手は、側島製罐株式会社 の代表取締役 石川貴也(いしかわたかや)さんです!
ちなみに、#旅と対話と組織開発 とはこんな企画(↓)です。
貴也さんは側島製罐の6代目の代表取締役(代表取締役・平社員を名乗られています)で、4年前(2020年)に同社に入社。
老舗製造業でありながら、人事評価ナシ、業務命令ナシなど「メンバーを信じる経営」を追求および体現し、メンバーのエンゲージメントも業績もV字回復させた、まさに組織の景色を変える変革リーダーです。
貴也さんと僕は以前からTwitterで意気投合しており、僕も何となく目指す世界観や方向性が近しいと思いお会いしたいと思っていました。
今回ようやくその願いが叶い、側島製罐さんの事業所がある愛知県 大治町へ。僕たちの事業所がある浜松市からクルマで1時間30分程度の旅路です。
貴也さんは愛知県名古屋市出身。
幼少の頃は父親の経営する会社にはほとんど行ったこともなく、小学校の自由研究で缶の製造工程を見学した程度。その後、東京の大学に進学そして語学留学。
母親からは「何年かしたら、(地元に)帰って来るんでしょう」と言われるも、もどかしさを感じ日本政策金融公庫に就職。中小企業の支援をしたい思いも何となく胸に秘めつつ、いわゆる東京の大組織のサラリーマンとしてキャリアをスタートしました(僕と一緒)。
最初の配属は浜松支社(なんと、浜松とのご縁が。嬉しい!)。キャリアの最初の4年間を浜松で過ごし、その後2年間は千葉支社で。浜松と千葉で営業畑を経験し、本店に異動した後に内閣官房にも出向。計11年間を日本政策金融公庫で過ごし、側島製罐に転職されました。
地元そして父親の経営する会社に戻ってきて、貴也さんは大きなリアリティショック、カルチャーショックを受けます。
職場に飛び交う怒号。その多くは具体的な指示命令やアドバイスがある訳でもなく、単なる感情論や根性論。陰口やハラスメントも日常茶飯時。
そんな景色の影響もあってか、売り上げは20年間連続で右肩下がり。経営者も社員も何の危機感ももたないまま、時代はコロナ禍に突入。にっちもさっちもいかなくなり、退職者も出始めた。
日本政策金融公庫で過ごした月日で、貴也さんは厳しいながらもはたらくことの楽しさを体感した。上長も同僚も、皆高い視座、そして自分なりの正義や大義を持って日々の仕事に向き合っていた。
「高い視座を持ち、大義を持って働いていればやり甲斐は生まれる。なにより、楽しくはたらきたい」
貴也さんはそう思いました。
地元に、父親の会社に帰って来た貴也さん。もはや自分がはたらく場所はここしかない。自分が楽しくはたらくためには、自分で環境を変えるしかない。
貴也さんの心は決まりました。
組織の景色を変えたい、はたらく景色を変えたい。
「だからといって、経営者同士だけで集まって愚痴り合うのはイヤでした」
それは時間の無駄であり何の生産性もない。僕も深く、ダムの底のように深---く共感します。
貴也さんは、経営者と社員の隔絶された関係性にも違和感を覚えました。
「内向きな力学を、外向けに変えていけたら組織も社会も楽しくできる」
内に向いた力学を外に向けていくためには、理念や共通の価値観が必要。
そう感じた貴也さんは、メンバーとの対話と企業理念づくりにまず力を入れます。
前職の日本政策金融公庫でも、メンバー一人ひとりが自分なりの正義をもって仕事をしていた。その背景には、共通の軸や価値観がある。軸がないと、良いものは生まれないし、仕事をしていても正しくない。
当時の側島製罐は雰囲気は悪かったものの、メンバー一人ひとりと丁寧に話をしてみると、皆思いをもって仕事をしていることが貴也さんは分かりました。
皆、仕事に対する思いはある。けれども、知らないうちに会社の業績が悪くなり、どうすれば良いか分からない。メンバーとの対話を通じ、その切なくもどかしい状態に貴也さんは気がついたと当時を振り返ります。
「メンバーに残っている良心を言語化し、共通の価値観としてビジュアル化し、分け合いたい」
こうして、貴也さんは側島製罐のミッション・ビジョン・バリュー(以下、MVVと称します)創りを始めます。
スタート当初は15名。最終的には中途採用で参画したメンバーも含む18名がこのプロジェクトに加わり、側島製罐のMVVを自分たちで話し合い、自分たちで決めていきました。
会議時間だけでも述べ40時間、会議以外の作業時間を含めると100時間以上。
「僕が創ったMVVではないんですよ。僕は皆の思いを聴いて、言語化を助けただけ。このMVVは皆で決めたものなのです」
こう強く語る貴也さん。
MVVを創るプロセスを通じ、メンバーの皆さんの行動変容が起こってきたといいます。
それまでの職場は、一言で言うとしらけていた。皆が相互無関心。
ところがいまでは、皆があたりまえのように自分の思いを語り、相手の思いを聴く。その相互理解の呼吸は、MVVを創る過程で培われてきたと貴也さんは語ります。MVVを自分たちで考え、自分たちで創るプロセスが、自己開示と他者理解の行動習慣を育んだのです。
考えてもみれば、日本の統制型いや、相互無関心型の職場ではたらく人の多くが職場で自分の意見を示したことすらない。ましてや、仕事に対する思いを語ったり、聴いてもらった体験がないのではないでしょうか。
(僕自身、浜松の地で創業して4年が経過しましたが、浜松をはじめとする中部・東海エリアの企業は特にその色が強いと感じています。貴也さんのような変革経営者と越境・共創して、地域に新しいカラー、新しいカルチャーを創っていきたいのです)
こうして自分たちで語り合い、自分たちで決めたMVVはメンバーが皆自分ごと化します。
「(MVVの)浸透という概念がないですね。自分たちで創ったものだから、浸透させる行為をせずとも馴染んでいるのです」
貴也さんは続けます。
「(会社が)MVVを創ったから、皆従いなさい。その考え方は乱暴だと思う。「ビジョン経営」「パーパス経営」などと綺麗ごとを並べつつも、結局メンバーのやらされ感しか醸成されない。そこに僕はモヤモヤしていたのです」
貴也さん自身、「MVV」と経営者が言えば言うほど、皆の熱量が下がっていくのを感じつつありました。こうして辿り着いた解が、個の尊重。すなわちリスペクト。個の考えや思想をリスペクトしないことには、組織の発展もない。
独り善がりな組織は、個からも社会からもそっぽを向かれる。
僕が最近、講演などでも力説しているフレーズです。会社と個が幸せに握手できる接点を見出す。自走する組織、健全に発展し続ける組織とは、その状態を作り続けている組織であり、そのためには会社と個の対話(押し付けではなく、対話です)が核なのです。
貴也さんは経営方針の軸に「良心」を掲げています。
各自が自分の良心に基づいて仕事をする文化と行動が培われてきた。評価制度のようなものは馴染まない。そもそも、人の良心を会社や他人が評価するっておかしいし、関係もギクシャクさせるだけ。貴也さんはそう考えました。
皆の良心に託す。性善説に振り切る。
「社員を管理する管理コストと、管理をしなかった時に発生する無駄を比較したらおそらく変わらない。むしろ管理コストのほうが高くつくのではないでしょうか」
こうして側島製罐は自律型組織の道を選択し、歩み始めました。
モノを買うにもクレジットカードで自由に。決裁フローもない(決裁ゼロ)。基本的にルールは創らない(ルールゼロ)。
自分が仕事をしたと思う時間であれば、勤務時間としてカウントしても良い。
「代表取締役の私も、指示命令をする権利を手放しました」
この性善説のマネジメントが機能している根底に、「シェア(共有)する」価値観がある。
社内のコミュニケーションツールにSlackを活用。
「社内Twitter」なるチャネルもあり、皆の気づきやつぶやき、誰がどんなことに時間やお金を使ったかなども各自の投稿によりシェアしあいお互い見えるようにしてます。
側島製罐の皆さんは、製造現場、管理スタッフ、営業スタッフ、デザイナーなど職種も多様化し、社内外それぞれの持ち場や集中できる場や空間を活用して成果を出しています。それぞれの場所と時間で、それぞれの勝ちパターンを尊重しつつ、共通のコミュニケーションツールで自己開示と相互理解をする。そこには、共通のプロセスとシェアし合うマインドが欠かせないと感じました。
このマインド(シェアするマインド)の変化も、MVVを皆で語り合いながら創ったからこそ生まれたそうです。
貴也さんと側島製罐さんの社内を歩いてみて、(メンバーが生き生きとはたらくことのできる)環境への投資を積極的になさっていると僕は感じそして感動しました。
日本の企業、とりわけ製造業の企業はコスト削減意識が強すぎるあまり、職場の環境や人への投資に無頓着な企業も少なくありません。それが、結果として人へのリスペクト、そしてはたらく人たちのエンゲージメントや創造性を積極的に削いできた。
貴也さんが職場環境への投資を惜しまない、その背景を聞いてみました。
「自分が経営する会社に対し、「キライ」「イヤだ」って思われたくないんです」
貴也さんは、世の中の幸せの総量を増やしたいとおっしゃっていました。
そのために、自分の目の前にいる、目の前ではたらいている人たちが幸せに働ける環境を創りたい。まさに、半径5m以内から景色を変える思いがつまっていると僕は感じました。
「メンバーを信じる経営」を体現している、貴也さん。
最後に、今後の夢や野望などをお聴きしました。
海外に缶を出していけるような事業をしたい。
(側島製罐さんのある)大治町は観光資源があるわけでもなく、近隣の名古屋もなにかを消費する場所の色が強い。そうではなく、ここから新たな文化を生み出していきたい。
たとえば缶と伝統産業の組み合わせで新たなパッケージ製品を生み出したり、それを送り合う新たな文化を創造できないか。
そのためにはデザインの力が必要である。企業も職種も超えた、越境と共創で新たな文化創造、新たな価値創造を仕掛けていきたい。
半径5m以内の幸せを見据えつつ、貴也さんの眼差しは常に未来を見つめている。そう感じた3月下旬の一日でした。
側島製罐さんが日本の製造業、いや世界の企業に新たな風を吹かせてくれることを期待して。
沢渡および僕たち(当社あまねキャリア)の取り組みや思いも聴いていただきました。僕がお話ししたスライドは以下です。
これからも時間を見つけて(余白を創って)、全国各地で組織と地域の景色を変えるチャレンジをしているファシリーダー(ファシリテータ+リーダーの造語)と対話していきたいと思います。
貴也さん、側島製罐の皆さん、改めてありがとうございました!
▼側島製罐さんのサイト
▼書籍『新時代を生き抜く越境思考』
▼書籍『バリューサイクル・マネジメント』
▼書籍『推される部署になろう』
▼ファシリーダー育成プログラム『組織変革Lab』
▼僕たちあまねキャリアのサイト