なんとなく抱いていた罪悪感発見の旅
書き終えてアップしようとした記事を誤って消してしまった…。
このパターンだと戻す手段がない…。
とはいえ、なにも残さないのももったいなさすぎる。
気を取り直して短めでもイマイチでも書き直してみよう。
友人との旅での発見
友人との旅行。
まとまった時間を一緒に過ごすなんて学生以来。
いくら親しかった友人でも変わっただろうな。
行く前はあれこれ思い巡らせていたが、蓋を開けてみれば、友人のことより、友人と一緒にいた自分自身に意識が向けられていた。
友人は、自分も周りもどちらも大切に出来る人。
だから一緒にいられたんだな。
年を重ねていくうちに少しずつ理解出来ることが増えた今、そう思う。
今回の旅行。私は旧友とともにのびのびと過ごすことが出来た。
それでも旅行終盤、なんとなくもやがかかったものがあることに気づいた。
なんだろう?
これまでなら見過ごしてきた違和感をしっかり見ようと思った。
旅行から戻ってただ余韻に浸ることなく、その正体を見たいと思った。
それは罪悪感だった。
私の中の暗黙ルール
罪悪感?!
一瞬よく事態を飲み込めないわからない自分がいた。
罪悪感はどこから来ている?
友達が何か言った?
言わなくても態度で示した?
イライラしていた?
どれもノー。
よくよく自分を見つめていると、ずっと幼いころから私の中にある〝暗黙のルール〟が浮かんできた。
私の育った家では、私自身のことより親のこと、周りのことを気にかける。
それが暗黙のルール。
親は子どもの私にとって絶対的な存在。
ちょっとでも子どもらしさというべきものを出して、ノリで好きなようにしてしまい、自分を優先したときの仕打ちは酷かった。
その度に、自分はまた同じ過ちを犯した。バカだな。そう思った。
旅行中、友人と過ごした私は伸びやかだった。そんな自分に気づいていた。
久しぶりに伸びやかに過ごす間に出てきた罪悪感は、自分を優先して周りを気にかけるという暗黙のルールに従わないことに対する罪悪感だった。
罪悪感をなんとなく抱かない
これまでもいろんな人と一緒に時間を過ごしてきた。
ほとんどの人が、自分も周りも同じように大切にする人。
そんな人たちと一緒の空間にいるときは、私自身も周りを大切にしつつも、自然と自分も大切にしていた。
これまでも、私は自分のことを優先させるたびに、きっと罪悪感も出てきていたんだと思う。
でも、その罪悪感はあまりに小さかったり、ずっと気にするには心地いいものではないから、見てみぬふりをしてきた。やり過ごしてきた…。
最近自分と向き合う作業を重ねてきた私は、今回ちっちゃな罪悪感を手にとることができた。
わりと自然に。
そしてその罪悪感を手にとってみたら、
自分に言いたくなった。
自分のことを考えてもいいんだよ。
罪悪感なんて持たなくていいんだよ。
〝なんとなくわかっていたこと〟。
それをしっかり自分に言い聞かせる必要があった。
そうそう、〝なんとなくしてしまう〟はやめるんだった。
なんとなく罪悪感を抱くのも終わりにしよう。
久しぶりの友人との旅が自分発見の旅になるとは…。
と思うと、円安にインフレ。完全に予算オーバーだったけど、高くなかったかもしれない(いや、やっぱり高かった…汗)。
次はどんな自己発見の旅をしようか🎵