大人の自分に寄り添いながら回復する
〝ちょっと深掘り〟
いまの自分、なかなかいいな。
自分でそう思う時がある。
なかなかいい、ってたまに思えるのはどういうときだろうか?
ちょっと深掘り。
実は、この〝ちょっと深掘り〟と思えるときも、なかなかいいって思える。
自分の興味関心好奇心を無視しない。
掘り下げる、というさらに進もうという姿勢。
そして、何より、ちょっと、という無理は強いない、自分への優しさ。
なんと!
〝ちょっと深掘り〟という一言にすら、なかなかいい、が詰まっていた(笑)。
なかなかいい、って思えるとき
なかなかいい、って思えるのは、自分の中にある、ちょっとした何か、に丁寧に寄り添えるときだ。
丁寧に寄り添そう。
ということは、人が生きている間の大切な時間を人のために使う行為。
寄り添いという形で。
常に周りを見て、見過ぎて、同時に自分を無視し続けて幼少期を過ごした私にとって、何よりも回復につながること。
そのひとつが、自分のために自分の時間を使うことだ、と最近しみじみ思う。
回復に使えていることに確信が持てるのは、そうしていると、なかなかいいって思えるから。
なかなかいいって思えているときの私は、満面の笑みを浮かべている。
いや、体全部が笑っている。喜んでいる。
自分に寄り添うって、なんて豊かなんだろう
生きているとき、誰にでも不安なときがある。
不安は生きるために必要だ(程度モンダイはある…)。
生きとし生けるものはみな、
生命を維持出来るか?ということに不安を持つからこそ、知恵をつけたり、ネットワークを作ったり、様々な防御をする。
当たり前にある不安と隣り合わせの生活の中、ただ丁寧に寄り添う誰かや何かが存在するとき、そこには穏やかな時間が流れる。
自分に寄り添ってくれるものの存在。
基本的には自分以外を思い浮かべるかもしれない。
パートナーなのか、家族なのか、友人なのか、ペットなのか…。
寄り添いのタイミングって、相手事情もあるから、きっと自分だけでは決められない。
だからこそ、特に行動範囲も能力も限られる子どもの頃って、寄り添い経験の幅が人それぞれになってしまう。
でもやがて大人になり…
自分だけは自分自身に丁寧に寄り添おう、って決めた瞬間から、自分に寄り添うことが出来る。
これは大人になった私が、私の回復のために出来ること。
そんな豊かな大人の自分の世界を想ったら、なかなかいいってまた私の体が笑い出した。