夏希
子どもと関わるなかで出会ったパワーを持つ言葉たちをまとめています。
南米ボリビアに出張に来ること3回目。 今回も会社のかいちょーと一緒にの出張です。 日々おこる些細なことだけど、なんか心にとどめておきたい事。 これいいなーって思って、後から思い返そうとしても思い出せないこと。 そんなことを記録したいなと思い今日は書いてみます。 日常で出会う心がときめくことやおっと思ったこと。そーんなことたち記録してみたいと思います。 昨日は、土曜日で休日♪ 同僚が教えてくれたおすすめの市場に一人で行ってきました。 普段は徒歩圏内に市場がなく、スーパーに
この家は不思議。 来る人、来る人、 「落ち着くー。」 と言ってくれる。 「おばあちゃん家みたい」 「旅館に来たみたい」 私も、 「落ち着くー。」 と思う。 あるときは、 中高校時代の10年来の友人が、 あるときは、 ここ数年で知り合った友人が、 「おばあちゃん家みたい」 「旅館に来たみたい」 と同じことを言う。 彼らと彼らの接点はないけれど、 同じ感想を持つみたい。 1人1人の頭の中にある 「おばあちゃんち」 「ちょっと街から離れたところにあるような
オンラインでの仕事を終えて、14時過ぎ。昼食を作る。 昨日までが消費期限だったイカを使ったパスタ。 誰かのために作るでもなく。 ただただ自分だけのために作ったパスタ。 誰かのためだったら気合が入るけれど、ただ淡々と作る。 仕事後は、この淡々と没頭できる時間がかなりリラックスになる そして完成、 ぱくっと一口。 「今日、めっちゃ美味しいのできちゃった!!」と自画自賛。 その後、 「なんでこんなに美味しくできたんだろう?」と、脳内で研究の会話が広がる。 パスタを茹で
歳を重ねる。 2日前にまた1才、年齢が増えた。 今朝、大好きで尊敬する友人から届いたラインのメッセージ。 「歳を重ねること」についての友人からの言葉を読む。 涙がじわりと溢れて来た。 それは、理由の分からない涙だった。 なんだろう?と考える。 この言葉を言われて嬉しさを感じているわけではない。 メッセージを2、3度最初から読み返す。 大好きな友人の「声」が心の中で響く。語ってくれる。 友人の存在、心のあり方、存在から滲み出る「何か」を感じる。 そして、涙が
千松さんというある猟師を追った映画。 彼の生きることへの向き合い方が映し出されていた。 映画の冒頭では、 罠にかかった猪の目にカメラの焦点が当たる。 猪の心臓をナイフで一突きした後、 猪の目は、すーーっと意識が遠のくように虚ろになっていく。 命が絶たれる瞬間を感じた映像だった。 なぜ猟師になったのか、 その答えを彼はこう言っていた。 動物が小さい頃から大好きだった。 でも、食べる時には誰かが殺した命の美味しいところだけもらうという事が、違和感だった。 「違和感」を違
魔法のコトバ、第二弾。 「へ~、ほ~う。 なるほどね~、あなたはそう思ったんだねぇ~。」 【⚘使うタイミング】 ・お子さんが落ち込んでいる時/泣いている時/元気がない時、など ・お子さんが、何かしらの不満をぽろっとこぼしたタイミングに ・最近、なかなか話せてないな、という時に。 【⚘効果】 ・お子さんの感情が激しくなっている時には、落ち着かせる効果があります。 ・内側に溜め込まずに、色々な感情を肯定できるようになります。 ・お子さんの本音を聞くことで、理解が深まり
朝7時半。 朝起きてから、ベッドを整えて、珈琲をいれて、頭の中にある言葉をノートに書き出す。夢で見たことや、心の中に渦巻く言葉をただそのまま書くだけの時間。 1日の中でも、特にお気に入りの時間。 この時間が取れる朝は最高だ。 この時間を取らずに、忙しく毎日を過ごしていると、ふと気がつくと、私は自分が心の奥で何を考えているのか分からなくなる。ふわふわとして自分が掴めなくなる。 ただただ人間が生活している、そんな感覚になる。 座っていた椅子から立ち上がってトイレへ行く
少し早めのお昼ご飯を食べた。 12時くらいには、お気に入りのあの席でゆっくりしていたいなと思う。 なぜかと言うと、午後になると私の大好きなカフェのあの席は太陽の光が強く当たるから。 早めの午後だと、周りの木の葉っぱがいい具合に日影をつくってくれるんだ。 そうして、今その席に座って時間を過ごしている。 10月の最初の週の今日、金木犀が満開だ。 ふわっとあまい香りが、秋の涼しい風に乗ってこの席に届いてくる。サンダルも脱いで裸足になって芝生に足をつく。 最高に大好きな場
通級に勤めて、周りの多くの先生方が使っているのが印象的で、わたしも使ってみた言葉。 その言葉をわたしも使ってみようと意識的に関わっていた子どもへ使ってみて、びっくり。 ふわっと、目の前の子どもの表情が緩まるのを感じたからだ。 「がんばったね。」 「うん」と静かにうなずく小学一年生の女の子や、 「そーなんだよ、おれ頑張ったんだよ」と愚痴を言いながらも素直な言葉になってこころが開いていく高学年の男の子。 予期せず驚いたことは、 「がんばったね。」と声をかけているわた
朝8時30分 今、私は住んでいる家のカフェスペースにいる。午後からのお仕事のことやろうと思ってこのカフェスペースに来たのだけど、あまりにも気持ちがいいからノートに書きたくなった。言葉を書いている時に、その空間をより感じることができるから。 カフェスペースに来て、横幅2メートルくらいあるだろう大きな窓をあけた。窓の向こうには、お庭がある。お庭をぼーっと眺めると、いつも手入れをしている大家さんの姿が浮かんでくる。目線をどこに移しても、美しい景色が広がっている。甘夏の木、梅の木
隣の隣のお部屋に引越ししてから、夜寝る時間が楽しみだ。 だって、ベッドに横になると斜め上に星や月が見えるから。 昨日は満月の次の日だったから、とても明るい月を見ながら眠った。えぎちゃんとの恒例の夜の電話もめっきりしなくなったのは、「夜空を見ながら眠るのが楽しみだから」というのが一番大きな理由だ^^ そして、朝起きるのも楽しみ。 今度は朝焼けが見えるから。起き上がりはしないけれど、朝焼けは見たいから5時くらいに目覚ましをセットする。そして、目覚ましを消して「朝焼け今日は
さっき、グアテマラ から帰国ぶりに、同時期にグアテマラ で、同じ職種で活動していた友人と電話した。 昨日も会っていたかのような、いつも通りの「やっほー」から始まる電話に、思わず顔に満面の笑みが広がってしまっていたと思う。 話し始めてすぐに、この2年間でわたしがどこにいて、何をしていたか、全く知らないことに気がつき、ほんとにほんとに、グアテマラ から帰国以来の2年ぶりの会話なんだぁと、電話で話しながらぼんやりとしみじみ感じた。 この2年間メキシコにいる彼は、外を歩きながら
引越しを決めた。 隣の隣のお部屋に。 「困らせてしまうかもしれないのですが、引っ越すことは可能ですか」とメールを一昨日送った。 メールを出すのには相当迷った。 内覧始まってるし、募集かけてるし。今の部屋も好きだし。 でも、内覧から帰る人とすれ違ったときに湧いてきた、モヤっと黒い気持ち(え、あなたが住むの?)と 素敵な部屋が空いたんだよ、と話す私に引っ越せばいいじゃん、という友人の言葉に対して 「いや今の部屋好きだからいいの。」と少し頑固になっている気持ち を放
noteに記事を投稿してたことも忘れていたついこの間。 書いた時以来、2年前に書いた記事を読んだら、 「そんなこともあったなぁ。」とその当時の光景を思い出して、ほっこりした。記事に残すっていいね。 2年前の記事に登場するテオさんこと、テオフェリオは、 グアテマラ時代の仕事のパートナーで、とてもとてもお世話になった人だ。 色々な価値観について話して、テオフェリオと私は、 「私はこう思う」「僕はこう思う」とあれこれ話した。 年齢が一回り以上も違うのに、あれこれ話せる
ある時、 「人間っていっちばーん初め、どうやって生まれたのか知ってる?」 とテオさんに聞かれた。 私は「猿から進化したんだよね~?理科で習ったよ~。」と答えた。 するとテオさんは、首を振った。 「人間は神様が創ったと僕は信じてるよ。猿が人間に進化したってどうも信じられない。僕たちは猿と違って話せるし、運動できるし、人とコミュニケーションできる。毛もむしゃむしゃじゃない。こんな高等な私たち人間が猿から進化したって納得できる?」 と言った。(テオさんはカトリック教徒で
ホームステイ先のお父さんが娘に「マミータ」と呼びかけた。マミータは私的な直訳だと「ママちゃ~ん♡」。 しっかり者のお父さんが1年生の娘を「ママちゃ~ん♡」と呼ぶ。最初聞いたとき、自然にぞわぞわと感じる感情が起こった。(それは、しっかり者のお父さんの聞いてはいけない一面をのぞいてしまったような感覚…。笑) 「ままちゃ~ん」と呼ぶのと同様、娘に対して「私のお姫様(Mi princesa)」とか「私の愛(Mi amor)」という言葉も使う。息子に対しても同様であり、「私の王様(