限られた時間の中で
この前、僕の叔父さんが亡くなった。
親からの突然の連絡だった。
まだ若かった。
亡くなるには早すぎる死だった。
末期癌だった。
僕のじいちゃんの弟で、
小学生の頃初めて会ったとき
じいちゃんにそっくりすぎて
びっくりしたのを今でもはっきり覚えてる。
叔父さんは
いっつも会うたびにニコニコしていて、笑顔が素敵な人だった。
初めて会ったのは、地元の歯医者だった。
僕が虫歯か何かで歯を抜歯した後で半泣きしながら病院をでて、その駐車場でたまたま出会った。
そんな泣くなよなんて笑顔で笑ってくれたなぁ
初めて会う人とは緊張して喋れない年頃だったけれど
僕は抜歯の怖さの余韻よりもあまりにじいちゃんに似すぎてて、そんなこと忘れて拍子抜けしたなぁ
それから、ずっと僕にとって第二のおじいちゃんみたいな存在で、大好きなおじちゃんだ。
お正月に挨拶行くたびにしゃがれた声と笑顔でよく来たよく来たって出迎えくれていっぱいお年玉くれた。
小さい頃は妹と一緒に叔父さんの家で叔母さんにケーキ作りを教わりに何回か遊びに行った。
叔母さんはケーキを作るのが上手で、僕の誕生日にも毎年ケーキを作ってくれた。叔父さんにとって自慢の叔母さんだったと思うんだ。僕たちに美味いだろ〜っていつも言ってた。僕たちが作って食べているといつも隣にいた。目を細めてニコニコしながら。
自分の周りの人を大切にしていた、そんな印象が大きかった。叔父さんみたいになりたいって思った。
そんなすっごく優しくて好きだった叔父さんだったが、
2年ほど前に喉頭癌を患ってしまって話すことができなくなった。
術後、回復してすぐ会いに行った。
あのしゃがれた声を聞くことはできなくなってしまったけれど、あの時と変わらない笑顔で出迎えくれた。
筆談で会話するのは人生で初めてだったし戸惑いがあった。
けれど元気になったように見てとれて凄く安心した。
叔父さん自身も摘出に対して色んな感情があったであろうし、どうやって会えばいいのかわからなかったけれど、何よりコミュニケーションがとれただけで涙が出るくらい嬉しかった。
それが僕が叔父さんと会った最期だった。
自分が浪人した1年は全く会えてなかった。
受験終えて凄く感じたのが、
自分自身が勉強だけの狭い世界で生きていて、まるで違う時間軸の中にいたかのように周りの環境や人間がどうなってるのか全く知らなかった。
それから晴れて大学生になって。
聞く話によると、どうやら、その、自分が会えなかった時期に癌が深刻化していったようだった。
僕の思い出の中では、いつまでも、元気で笑顔が絶えない、ずっとあの頃の叔父さんのままだ。
叔父さんをみていて、
笑顔ってあんなにも周りの人を巻き込んで楽しい気持ちにさせることができるんだって凄く思った。
一緒にいる時は、その時間がどれだけ大切かなんて考えもしなかった。
いなくなった時に初めてその人の大切さに気づくなんてよく言われるけど、その通りだった。
今、自分の周りの人との時間も有限であって、いつかはなくなってしまう。
だからこそ、自分の周りにいる人を大切にしながら、
今、この瞬間を大切に生きていきたいなと思った。
この前電話で聞いたときは現実味が全くなかった。
だんだん気持ちが落ち着いてきて
これが”死”ということなんだなと腑に落ちる感覚があった。
今まで亡くなった方の葬儀に参列したことはあるが、
凄く親しかった身近な人がいなくなる、というのは僕にとって初めてのことだった。
初めての感情だった。
正直いって不思議な感じだ、凄く。
こうやってnoteに書くのはどうなんだろうかと躊躇いがあったが、自分の率直な思いを綴って自分の中の気持ちを書き出すことで弔いができればなと思った。
モヤモヤした気持ちが少し晴れた気がする。
今月末、僕は実家に帰省する。
叔父さんの家に行って線香をあげようと思っている。
大切な時間をくれた叔父さんに
いっぱいの思いと感謝を伝えながら。