信じてくれた先生は、私にとって信じられる大人でした
先生への恩というのは、後からしみじみと分かる、っていうこともあるのかもしれない。生徒の立場でいる時は、生徒どうしのことで精いっぱい。大人になって、どうしてあの先生が忘れられないんだろうと考えてみた時に、その存在の偉大さに気づく、みたいに。
先生、あなたと出逢えたことは、思っていた以上に尊い経験だったのだと、やっと今、分かった気がします。
中学生時代の女子卓球部で、私たちの学年は真っ二つに仲間割れしていた。4人対5人の構図は、おそらくは入部して間もなく固定化され、3年生で引退するまで続いた。
女子には当たり前のグループ化。だけれど、あなたたちは特殊だと、先輩たちからも言われた。とにかく、グループどうし、一言も口を利かないのだから。その徹底ぶりといったら。
今思い出しても、あの状態は何だったのかと思うほどに異様だった。普段の学校生活の中では、ごく普通にしゃべる友達どうしなのに、いったん卓球室に入ったとたん、4人組にスイッチが入る。
5人組に対する完全無視が始まる!シャットダウンされるのだ。
自分たちがレギュラーの座を維持するための、綿密に練られた心理作戦だったのでは、とさえ勘ぐってしまう。
ま、中学生が、そこまで意識していなかったにせよ、無視された相手は、メンタル面をやられて意欲を失う、というのは何となく分かってたのかもしれない。
部活時間では、4人組のほうが断然、強かった。メンタル面もスキル面も。
私たち5人組は、リレー選手には選ばれる。が、足の速さは卓球のスキルには関係しない。だからこそ、足の遅い子が多い4人組は、スポーツ面で挽回するために一縷の望みをかけて卓球という種目を選び、中学から新たに始まる《部活》という舞台で、立ち位置を確立したいという強い思いがあったんじゃないかな、と想像する。
事実、4人組は見る間に上達していった。レギュラーの3枠は、常にこの4人組のほうから選ばれた。
一方、排除され、無視された私たちのグループは、卓球に熱中できない状態におかれた。無視という状態が気になって仕方ないものね。そのせいで、ぜんぜん上達しなかった。単なる言い訳かな。
要するに、部活の時間にだけ限って言えば、4人はキラキラ女子グループだったのだ。2年生で部長と副部長を決めた時も、当然のように4人組から選ばれた。一人ぼっちじゃないにしても、部活の時間は気が重かったし、おもしろくなかった。
そんな卓球部の顧問の一人に、おばあちゃん先生がおられた。背中が曲がりかけていて、小柄な体型。超難関女子大卒の、理科の先生。なのに、少しも鼻にかけるところがなく、いつも愛らしい雰囲気を醸し出していた。
先生も先輩たちも、私たちの代のチームワークを心配して、何度か仲介しようとしてくれた。でも、どうしたって弱いグループとしての引け目を感じてしまう。ちょっとしたアドバイスが、強いほうの4人組をかばっているように聞こえてしまい、心を開けない。
その日も、4人組のいないところで、おばあちゃん先生に聞かれた。確か、私と、もう一人、同じグループの誰かが一緒だった。
ーあなたたちが無視されている側だというのは、見ていれば分かる。特にあの子は、やり過ぎだと思う。でも、Aさんはどう?大丈夫そうよね。
先生は、普段から優等生でいい子に見えるAさんのことを、そう言った。先生としては、4人組のうち、誰か仲介役になる子がいないか知りたかったのだと思う。
私は、話すのは今しかない、という思いで、先生に打ち明けた。
そのAさんこそ、一番の隠れボスなんです、と。
先生や先輩たちの前では、いい子に振舞う。成績もいい。なのに、いったん先生たちの姿が見えなくなると、私たちへの態度が一変する。ずるいひと。だからこそ、一番厄介な存在。
大人って、こういう時、なかなかAさんのような子に対するイメージを変えられないことが多い。自分の感覚を信じたいし、自分を慕ってくれるAさんのような存在を失いたくはないから。特に、先生という立場からすれば、優等生を中心に考えることで、一番丸く、手っ取り早く収まる。
そうやって、得てして、Aさんを悪く言う側に対して、あの子はそんな子じゃないよ、と言ってかばう・・そんな思い込みがあったのだけれど。
おばあちゃん先生は違った。私たちの言葉を信じてくれた。
ーそうかぁ。そんなふうには見えなかったけれど、本当はそうだったんだね。聞いてみないと分からないものだね。
私は、この言葉に救われた。
中学生という多感な時期に、信じてもいいと思える大人に出逢えたのは、本当にありがたいことだったんだなと思う。
先生のおかげで、中学校の3年間は、理科が大の得意科目だった。
苦手な数学と、高校の理科があまりにも難しすぎて、その後の人生で、理系には進めなかったけれど。
大好きだった先生。
記憶違いでなければ、私たちの卒業と同時期に、先生も退職された。
それから、8年くらい経った頃だったろうか、先生の訃報を、友達から聞いた。
私たちが卒業しても、ずっと忘れずにいてくださったそうだ。もしかしたら、心残りをさせてしまったのかもしれない。
こんなことになるなら、もっと早く、先生に会いに行けばよかったね、と友達と泣きながら電話で話したことを覚えている。