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聖地へ|熊野詣(2)

飛瀧神社(ひろう神社)

飛瀧神社の御神体は瀧そのものです。
そのため拝殿や本殿はありません。
熊野那智大社の別宮です。

那智瀧

高さ133m、瀧壷の深さ10 mといわれ、那智48瀧のうち一の瀧と呼ばれる大きな滝です。

神武天皇東征の時、那智の浜から上陸し困難にあうも、八咫烏(やたがらす)が先導してからは那智の滝を発見し、大己貴神(おおなむちのかみ)が顕れたとして祀り、その後無事大和へ至ります。
滝は御神体の大己貴神であり、飛瀧権現であり、本地仏としては千手観音であるとされています。

熊野信仰

神武東征神話、吉野や高野山につながる山岳霊場である熊野。
平安時代には上皇・法皇や女院の参詣により貴族による信仰が拡まり、その後、中世になると比丘尼と呼ばれる尼僧が諸国を巡り、聖地・熊野の信仰を拡めます。

聖地へ|熊野詣(1)の記事はこちら


熊野那智参詣曼陀羅

熊野の修験者や比丘たちが、布教や勧進のため持ち歩き、絵解き物語を説いたのが「熊野那智参詣曼荼羅」です。

《熊野那智参詣曼陀羅》
(國學院大学図書 デジタルライブラリーより引用)


曼荼羅のみどころ(絵解きのクライマックスシーン)

例えば右上の那智滝の下では修行する文覚上人が見えます。

(右上部分の拡大)
滝の下で制吒迦と矜羯羅の二童子に助けられながら修行する文覚上人

曼荼羅を4分割するとそれぞれに見所シーンがあります。
國學院大学のサイト(↓下のリンク)がたいへん見易くおすすめです。

  1. 右上:文覚上人。 滝の下で制吒迦と矜羯羅の二童子に助けられながら修行する姿。

  2. 右下:補陀落信仰。 海の向こうの補陀落浄土へ旅立つ僧侶の姿。船に曳かれた小舟に乗り沖で綱を切られ、漂流した先の浄土を目指します。

  3. 左下:和泉式部。 二ノ瀬橋の手前、桜を見る貴人の姿。

  4. 左上:花山上皇。 法会が営まれる境内、中心の人物。


有名人物が多く登場する聖地の様子を歴史や御利益と合わせて説く絵解きは、見聞きした人々を感動させ、現地に行きたい!と思わせたことでしょう。
現代における聖地巡礼(エンタメやアートなどを含めて)と何ら変わらないなぁと思います。

補陀落山寺(追加記事)

かつては大伽藍があったと言う補陀落山寺

熊野那智参詣曼陀羅にある補陀落信仰の中心です。
仁徳帝の頃にインドから漂着した裸形上人によって開山されたと伝わる古刹です。
補陀落信仰の延長線上にある「補陀落渡海」とは、補陀洛浄土を目指して僧侶たちが小舟に乗り、那智の浜から他の船に曳かれ、沖合で綱を切られ漂流する。
流れ着いたところが補陀落浄土のはず…というものでした。 遠く沖縄に流れ着いた記録があるそうですが、ほとんどは行方知れずとなったそうです。

那智瀧図

根津美術館の国宝《那智瀧図》、実際に瀧を見て絶句したアンドレ・マルロー、那智瀧を作品にした杉本博司についての記事はこちらです。


熊野詣の魅力

神仏習合と修験道、神仏一体である熊野権現の自然環境は、山地の厳しさと四季の美しさが表裏であり、貴賎男女の隔てなく受け容れられる寛容さがあります。


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