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生存戦略の多様化は相互理解の喪失を生むのか?
どうも『Alex Lab』のAyatoです😸
今回の【思考の旅路】は、
人間の行動原理は「生存戦略」として、一定レベルまで説明出来るのでは?という疑問から思考を深めてみました!
生存戦略から今後の社会構造の変化について記事にしたので、ぜひお楽しみ下さい!
《生存戦略というキーワード》
前提として、
私達の行動原理は、「生存戦略」というキーワードで説明することができると思います。
過去の経験から得た知識をもとに、「自分が生き残るためにはどうすればよいか」というパターンが形成され、それが人格や行動様式に反映されているからです。
この「生存」とは、単に生命を維持することに限らず、社会の中での居場所を確保すること、あるいは自己の精神的安定を保つことも含まれるでしょう。
※自分がコミュニティ内でのポジションを維持する為の言動や、人間関係に対する思考の傾向性など
そこで今後テクノロジーの発展によって社会の変化が指数関数的に加速していく場合、以下のような問いが考えられます。
🟢個々における生存戦略の多様化の幅が広がるのではないか?
🟢生存戦略の多様化が進むと、私達は互いを理解しにくくなり、社会の分断が進むのか?
🟢それとも、テクノロジーによる接続性の向上が、むしろ生存戦略の幅を狭め、より均質な社会を生むのか?
《生存戦略の個体差とその拡大》
動物の生存戦略は、種ごとの傾向がある程度決まっており、個体差はあってもその幅は限られています。
しかし、人間は環境、文化、個人の経験によって生存戦略が大きく変化します。
ある人は競争社会の中でのし上がることを選び、またある人は社会的な接触を最小限に抑えて生きることを選びます。
さらに、学習や意識的な選択によって過去の生存戦略を修正し、自己の生き方を変えることもできます。
テクノロジーの発展は、この「個体差の幅」をさらに広げるでしょう。
たとえば、AIと融合して拡張された知性を持つ人々が現れる一方で、AIの影響を避けるために意図的にアナログな生活を選ぶ人々もいるでしょう。
生物学的改良を積極的に受け入れ、遺伝子編集を用いた強化型人間が登場する可能性もあります。
そうなると、私達は「同じ人間」としてお互いを理解できるのでしょうか?🤔
おそらく、自分と似通った意見で集まりやすくなり、その結果として、異なった意見とは距離を置きやすくなるでしょう。
《ローカルな社会構造と排他的なコミュニティの出現》
テクノロジーによって社会が急速に変化すると、私達はより多様な生存戦略を選択できるようになります。
しかし、これが必ずしも「多様性の拡張」に繋がるとは限りません。
むしろ、価値観の近い人々がより簡単に集まり、局所的なコミュニティが形成されやすくなることで、相互理解が困難な排他的な社会になる可能性があります。
たとえば、現在でもSNSのアルゴリズムは、人々が自分と似た意見の人たちとばかり接する環境を作り出しています。
未来では、この傾向がさらに進み、価値観ごとに物理的・デジタル的な社会が分かれていくかもしれません。
「AI依存型の都市」と「AI忌避派のコミューン」、「バイオハッキングを推奨する社会」と「自然回帰を目指す社会」など、それぞれが独自のルールと倫理観を持つ社会が並行して存在することが考えられます。
このような状況になると、異なる生存戦略を持つ者同士の交流が減り、お互いの価値観を理解する機会が失われます。
結果として、「異なる社会を理解する必要がない」状態が生まれ、各コミュニティ内では生存戦略が最適化されつつも、コミュニティ間の断絶が深まりやすくなります😅
《完全な分断ではなく、並行する社会の出現》
では、このような局所的な社会の分断が進むと、未来の世界は完全にバラバラになってしまうのかというと、
個人的には、そうはならないと考えています😄
テクノロジーが「接続」を保証し続ける限り、価値観の異なる社会同士も最低限の相互依存関係を維持するからです。
例えば、経済や技術的な依存関係は続く可能性が高いです。
たとえ思想が異なっていても、互いに必要な資源や技術を持っていれば取引は発生するでしょう。
また、気候変動や資源問題、AIの暴走といった地球規模の課題は、どの社会にとっても共通の問題であり、完全な孤立は難しいはずです。
つまり、社会は「完全に断絶する」のではなく、「お互いを理解しないまま並行して存在する」状態のシナリオが考えられます。
そうすると、異なる価値観を持つ者同士が直接的に衝突することは減るかもしれませんが、同時に「共通の言語を持たない社会」が増えていくことで、理解し合う機会がますます失われていくのではないかと懸念されます😅
《問い:私達は「理解」を諦めるべきか?》
ここで一つの問いが浮かびます。
🟢社会の変化が加速し、価値観の異なるコミュニティが並行して存在する未来において、私達は互いを理解する努力を続けるべきなのか?
たしかに理解しようとしなくても生きていける社会が到来するのなら、無理に相手の価値観を受け入れなくてもよいのかもしれません🤔
しかし、その結果、人間はますます「異なる生存戦略を持つ他者」に関心を失い、視野が狭まっていくのではないでしょうか😅
テクノロジーによって人々が選別的に集まり、最適な環境で生きられる未来が訪れたとしても、「他者を理解する」という営みが不要になったわけではないと思います。
同じ価値観のコミュニティ内でも状況に応じて意見の対立や価値観の濃淡による違いは出てきます。
相手を理解するには、自分とは違うものを受け入れる必要があるでしょう。
そうでなければ、具体的な意見を持たず、他者に流されるだけの存在になりかねません。
結論として、意識的に異なる価値観と向き合うことが、どの環境においても、私達が人間らしく生きていく為に尚更重要になると思います。
この先、どのような形で社会が進化していくとしても、こういった問いを持ち続けながら、未来を考える意義こそが人間が人間で在れる意味だと考えています😸
毎回思いますけど、「問い」は重要ですね😄❗️
Alex worldの世界観形成もこういった価値観の違う人たちが共存していけるような世界を目指しています。
まずはその為のコミュニティを一つ形成する為に、「問い」をテーマにした哲学的なコミュニティを作りたいなと考えています✨
今後も引き続き発信していきますので、どうぞよろしくお願いします🙇
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最後まで読んで頂きありがとうございました♪
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