ガラス越しに待つこども達。
少し話が変わるかもしれないが、伝えておきたい事がある。
過去の記事は⬇︎
きょうだいの日(シブリングデー)
2019年4月10日
日本でも毎年4月10日は「きょうだいの日」と制定された!
「病気や障がいのある兄弟姉妹」を持つ人のことを平仮名で「きょうだい」または「きょうだい児」と呼ぶことがある。
我が子達に差をつけるつもりは無いけれど、
我が子に重い病気の診断がくだった時、入院や手術、治療や介護など、頭の中はその子の事でいっぱいになり、どうしてもその子に付きっきりになってしまう。
でもその時、きょうだい達は?
突然、きょうだいと親が側にいない時間が多くなり、パパ・ママが側にいても元気がなかったり、余裕がなくてイライラしていたり。いつも留守番をさせられたり、病棟のガラスの前で何時間も待たされていたり・・・。
退屈で、淋しくて、不安で小さな心が張り裂けそうになっている。パパ・ママは病児の事ばかり気に掛けて、自分は嫌われているのだと思ってしまう「きょうだい」もいる。
みんな頑張っているのに、みんなが辛い思いをしている・・・。
だから年に1日!
1日だけじゃ少ないんだけど、せめて1日だけでも「きょうだい」達の事をみんなで考えたい!
「きょうだい」達が思う存分パパやママに甘え、独り占め出来る時間を作ってあげたい!
空気を読んで我慢して、お利口にしている「きょうだい」達もいる。頭ではわかっているけれど、そこに甘えている親もいる。
だからこそ向き合う時間がいる!
以前の記事にも少し書いたが、真翔が生まれ入院している時、当時幼稚園年中さんの長男は不安な思いをしていたと思う。自分で我が子の事をいうのもなんだが、優しくて気弱な真面目な子。年中といってもある程度状況を理解して、我慢をしていたのだと思う。真翔が入院中は妻が病院に付き添い入院、僕が家にいた。
長男は家でゲームを楽しそうにしていても、僕が少し離れると不安になって突然泣き出しパニックになった事もあった。普段はあまり顔に出さないが、小さな心で色々我慢していたのだと思う。お利口さんを演じていたのだと思う。優しく真面目な子だから、親や弟に迷惑(負担)をかけない様にしていたのだと思う。小さな心が張り裂けそうだけど、頑張っていたのだと思う。
真翔と妻が入院中に幼稚園の遠足もあった。恐らく人生初めて? 頑張って早起きをし、お弁当を作った。周りのお母さん方からは「お弁当作ってあげようか?」など優しい言葉も頂いたが、下手でもいいから自分で作ってあげたかった。少しでも長男の頑張りに、愛を伝えてあげたかった。
次男は当時1歳。あまり状況はわかっていなかっただろうが、それでも母親がずっといなかったのは寂しかったと思う。
「きょうだい児」
実はこの言葉を知ったのは、2017年頃だ。
きょうだい児支援をしている団体の活動を知り、きょうだい児の状況・思いを知った。
真翔の入院中の事を思い出し、今後、我が家だけではなく、多くの「きょうだい」達の気持ちが、明るく元気で健やかに育って欲しいと想いを込めて、2019年4月10日に制定された「きょうだいの日」の制定発起人にもなった。
「きょうだい」が我慢している、「親」も大変な思いをしている。でもそれは「病児」が悪いのではない。
「親」も「病児」も「きょうだい」も、皆んなが精一杯頑張っている。皆んなが心をすり減らしながら、病気と向き合っている。
そうそう、言いそびれていたが今我が家には5人のこどもがいる。そして「きょうだい」さんが4人も居る事になる!
僕が「きょうだい」の事を綴った理由は、きょうだいの辛さや大変さだけを伝えたいのではなくて、「きょうだい」がいたからこそ、会える喜びや話せる喜び、一緒にいれる喜びを家族で感じ、こども達の優しさや頑張り、成長を知り、多くの事を気付かされ・学ばせてもらっている事。そして感受性豊かなこども達が、きょうだいの病気とどう向き合い過ごしているかを知ってもらいたいからだ。
少しでも今後の「きょうだい」達の環境が良くなったら嬉しい。
15年程前から、小児病棟には面会のこどもは入れない(感染対策のためだ) 。両親が先生と大切な話を聞くためには、病棟の外でこども達が待つ必要がある。
感染対策で小児病棟へ入れないのは仕方がないが、もっと環境を整えてあげて欲しい。本音を言えば保育士が1人常駐して欲しい。そこまでは難しいかもしれないが、せめて待つための椅子や冷暖房、おもちゃや本があってもいいと思う。病室の家族と会話が出来るTV電話があってもいいと思う。
病院的に待たせる事を推奨していないので設備がないのかもしれない。でも、ガラス越しに待っているこども達がいっぱいいる。
預けられる場所がない家族もいる。我が家の長男の様に、親と離れるだけで泣いてしまいそうになり、小さな心で我慢している子だっている。
「30分、1時間なら病棟の外で待っていて。」親の本音だ。でも親が悪いのではないと思う。「病児」を気にかけ、「きょうだい児」を気にかけていない訳ではない。
当時の我が家は病院まで片道2時間程度かかった。
「きょうだい」をおいてきた場合、往復と先生の話を踏まえると、最低でも5時間程度は会えない時間がある。大丈夫だろうか?
きょうだいを預けるにしても、預ける場所を用意する必要がある。病状が急変して急に呼ばれた場合などは、預ける場所すら直ぐに準備できない。
そしてガラス越しであっても、ほんの数分だったとしても、入院・治療を頑張っている家族に会わせたい。家で帰りを待っている「きょうだい」に会わせたい!
色々な家庭の事情はあると思うが、少しでもガラス越しで待つこども達の状況や、家族の想いを知ってもらえたら嬉しい。
産まれてから入退院を繰り返し、そんな経験をしているからだろうか?
真翔が9歳(小学校3年生)の時にカテーテル検査入院をする時の事・・・
当時妻が妊娠中だったので、僕が付き添い入院をする予定だったのだが・・・
入院前、真翔は父ちゃんの仕事、母ちゃんのお腹、兄弟の事を心配して、「真翔一人で入院出来るから大丈夫やで!」って、突然言い出した!兄達は「洗濯、ご飯出来るから真翔の事みたってや〜」っと言ってくれ、4男は「兄ちゃん達おるから大丈夫!」っと言ってくれた!
みんな心配で不安で我慢しているのに、心配させまいと気をつかって優しい言葉をかけてくれた!
優し過ぎて涙が溢れた。
こども達はこども達の心で色々な状況を受け入れ、心も大きく成長している。素晴らしいことだ!
でも、そこに大人が甘えきっていてはいけない。小さなこころが張り裂けそうになっている事もある。
「病児」に目がいってしまう気持ちもわかるが、「きょうだい」を抱きしめて、話を聞いてあげ、話をすることも大切。
「病児」が悪いのではない。「きょうだい」が悪いのではない。「親」が悪いのではない。みんな頑張っている!
少し甘えてもいい、もっと頼ってもいい。
こども だけではなく、親も!
だから家族の時間を持って、家族で話す時間が必要。
こどもはこどもの考えだけれど、大人よりも素直で本心をついている事が多い。大人も素直になり、心に向き合う事が必要だと考えている。
真翔の「難病」と向き合い、「命」と向き合い、「家族」と向き合い、「病気」だけではない色々な問題と向き合う事になった。「きょうだい児」の事や病院のこと、学校の事、医療や福祉制度のこと。
でも、何を訴えるにしても「知ってもらわない事には、何も進まない!」という事。
医療制度や福祉制度を変える様な大層な話ではなく、普通の生活、家族と過ごす時間、家族の心と向き合う時間、家族の温もりを感じる時間、「想いと向き合う時間」が必要だと思う。
「みんなが当たり前にその時間を作れるように意識をする。」事が結果、今後の制度になっていくと思う。
先ずは知ってもらう事が第一歩!だからこの記事を読んで少しでも考えてもらえたなら、先ずは大切な第一歩!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?