意識していないものは学べない?【言語習得】
■Abstract
2017年、スタンフォード大学とプリンストン大学の研究チームが面白い論文を発表しました。その内容は、人は意識を向けていない対象からは学習することができないというものです。
逆説的に言うと、私たちは意識の向け方ひとつで学びの質を大幅に高めることができます。
この事実と生成文法および個別文法のベーシック考え方からスタートし、より自然な外国語を身に着けるための頭の使い方について考えてみましょう。
学習時の意識で身につく内容が変わる
■学習の必要条件?
2017年にNeuron誌に、次のようなタイトルの論文が掲載されました。
近年、機械学習で得られた知見を人間の学習の理解に役立てようという動きがあり、この論文もそんな流れの中で生まれたものの一つです。
この論文では被験者に同一タスクを繰り返し行わせ、その時の正答率の変化を強化学習の数理的モデルに当てはめて解釈を行う方法がとられています。
報告された内容はかいつまんで言うと、次の内容を実験的に確認したというものです。
かなり限定的な状況ではありますが、「注意を向ける対象と学習内容に相関がある」ことを示したこの論文は、何に注意を向けるべきか理解して勉強したほうが闇雲に勉強するより効率が良いという経験的な事実を強くバックアップしてくれます。
ここで少し論文の中身に触れておきます。
エセ科学の常套手段、「権威ある名前を借りて内容に触れない」に陥るのは本意ではないためです。
実験内容は以下の通りです。
「顔、道具、建物」の画像の組を3組(うち正解一組)被験者に見せる
被験者に正解だと思う組を選ばせる
以下の確率で被験者にポイントを与える(報酬)
・正解 ⇒75%
・不正解⇒25%
研究チームはこの試行を25回1セットで合計6セット繰り返し、正解率の変化を記録しました。
また、実験全体を通して被験者の視線とfMRI画像を記録することで、脳の報酬系/罰系が働い瞬間に被験者何に注目していたかを推定・記録しました。
この実験で巧妙なのは、「顔、道具、建物」のうち、正解・不正解に関係があるの要素はどれか一つだけであるということです。
1セットの間正解と関係する要素は変わりませんが、次のセットでは別の要素に変更されます。
例えば今回の1セット25回の試行では「レンチ」、次の1セット25回の試行では「リンカーン」が正解の組を示す、といった具合です。
これは被験者がたまたま正しい要素に注意を向けていたときのみ、正しい学習が起こるようにデザインされていることを意味します。
ここから、意識を向けることが学習に与える影響を考えるために、研究チームは得られた結果に対して機械学習で使われる強化学習のモデルを4通りあてはめた結果、
特徴を持つモデルが、最も正解率推移のフィッティングにおいて尤度が高く、同時にfMRIで確認された脳の活動との相関も最も大きかったという結果が得られたとしています。
なお、他の3モデルは脳の活動とほとんど相関がなかったとのことです。
さて、ここまで内容を見てきてわかる通り、「学習対象に意識を向けていることが学習の必要条件である」というのはさすがに言いすぎです。
しかし、この結果からは少なくとも学習において欲しい成果を得るには適切なポイントに意図的に意識を向けることは明確に学習効率を向上させるといえます。
逆に意図的に意識を向けるのでなければ、適切なポイントに偶然意識が向き、かつその瞬間にそれが適切であることを知覚する幸運を待つ必要がある、ということになります。
言語学習で意識を向ける先
いうまでもなく、言語習得においては言葉の「意味」と「つなげ方」に意識を向ける必要があります。
文の意味は、単語がある一定の構造を持って並べられることによって構成されます。
この構造を論理的に整理したものが文法です。
この文法を手掛かりにすることで、私たちは効率よく未知の言語が持つルールに注意を向け、効率よく学習することができます。
■「言語を生み出す本能」に逆らわない
一方、文法があまりにもよく出来すぎているせいで、私たちはある重大な間違いを犯しがちです。
「外国語を母国語の母語の語順に並べ替えて解釈する」という間違いです。
詳細は次の投稿で論じていますが、我々の脳が行う言語処理には「文頭から文末に向けて順番に進む」という前提があります。
並べ替えてしまうと論理的には等価であっても、脳がそれを処理する過程は全くの別物となります。
すなわち、学習目標の言語を脳が勝手に処理してくれるようにするためには、「頭から読んで理解しようと試みる」ことが大事になるのです。
■文法の使い方~生成文法から個別文法を考える~
すべての学問に言えることですが、現象を統一的に説明する普遍的な理論を究極的な目標に持ちます。
言語学においてそれは「普遍文法」と呼ばれる、すべての言語に共通して当てはまる文法理論になります。
普遍文法への野望は古くからありましたが、それに向けた道のりは非常に困難で長く個別の言語についての文法研究が続きました。
1960年頃、今に至るまで「普遍文法」に最も近い考え方が提唱されました。
それが、生成文法理論です。
生成文法理論はざっくりいうと次のような考え方です。
そして1990年初頭にはさらに、この生得的な仕組みが必要最低限の道具立てによって形作られているという仮説が加えられ、現在に至ります。
さて、これらの仮説は心理学的な観察によるものですが、近年急速な発展を見せている神経科学の分野からも、これを裏付ける発見が次々と報告されています。
また、新生児の脳でも言語音声を聞いたときにこの領域が活性化することが確認されています。
(視覚的にわかりやすい図を見つけることができませんでした。。。興味のある方はこちらhttps://www.youtube.com/watch?v=25GI3-kiLdoの5:30くらいをご覧ください。)
では、人間には言語習得のための必要最小限の機能が生得的に備わっているとしましょう。
我々はそれに頼って、例えば「英語のシャワー」のようにひたすら脳に第二言語のインプットを与えれば勝手に脳が学習してくれるのでしょうか?
あくまで私見になってしまいますが、それは難しいと考えています。
我々大人はすでに母語があり、それに引っ張られるため無限のインプットで自発的に第2言語のためのネットワークが組織されるとは考えにくいためです。
事実、新生児の時点で母音の聞き分けのためのネットワークが組織されており、生後2年経つ頃には頻出語と2語程度の組み合わせを認識するためのネットワークを持つことが知られています。
生まれて1~2年時点で既に母語のパターン分析に最適化され、その後10年単位で母語の運用に最適化された脳は、そう簡単に外国語を認識しません。
そのため、第一言語が固まって以降の言語学習においては、分析によって学習対象の言語の運用のための感覚を見つけ出す必要があります。
そして、その感覚は並べ替えを前提としないものである必要があります。
それをどう探すか?
ほかの文章にも書いたように私自身は脳の気づきに助けられたのですが、そのような偶然に頼るのは効率がよくありません。
そこで、本稿では「ふんわりカタコト訳」という方法を提案したいと思います。
基本的な考え方は次のようになります。
例えば、次の文章を考えます。
ここではAsの用法がよくわからないとします。(それ以外は問題ない)
"As you close your eyes and count sheep one after one, little by little, you'll get sleepy."
まずは、これを次のようにふんわり、カタコトで訳します。
文法書でAsの用法を調べると、前置詞としてのAsは「~として、~のとき」という意味があるから、これは「目をつむって羊を数えるにつれてあなたはだんだん眠くなる」と理解できます。
ここで、最初のAsがどんな意味を持っていれば、"As you close your eyes and count sheep one after one, little by little, you'll get sleepy."は「目をつむって羊を数えるにつれてあなたはだんだん眠くなる」になるかを考えます。
Asの最も基本的な用法である比較を見てみましょう。
すると、Asは2つのものを、ある性質を指標にして比べて、それらが同程度であることを示す意味があるといえます。
なら、最初のAsは、次のものと何かを並列に並べるイメージを持てばよいのでは?という仮説が立ちます。
そう考えてこの文は、close your eyes and count sheep one after oneという情景を思い浮かべ、ここでカンマが入るので、それに続く"little by little, you'll get sleepy."を並べる感覚で読めます。
これはまさしく、「目をつむって羊を数えるにつれてあなたはだんだん眠くなる」という情景です。
As time passes by, ~ とか、As we glow olderなどの表現も、まったく同じイメージでり枚できます。
ほかの用法も見てみましょう。
◆As he was sick, he decided to work from home today.
これもなんとなく同じ感覚で理解できそうです。
もちろんこれは理由を示す用法ですが、この読み方をすればwas sickということがわかるにつれてその決定をしたという雰囲気を感じ取れます。
◆When you are in Rome, do as the Romans do.
", do"で命令されてるので、何かしているイメージを持ち、”as”でそれをこの後いわれることと並べるイメージを持ち、Romas doでローマ人のようにふるまう自分が思い浮かびます。
これで、Asの時、理由、様態の用法をすべて「比較」の時とほとんど同じ感覚で理解できたことになります。
お手持ちの文法書を開いていただければ、ほかの用法も例文と一緒に記されていると思いますので、同じ感覚で解釈をしてみましょう。
そして、一通り納得したら、適当に2~3作文して体にしみこませます。
数ではなく、文を作ってて「ああ、なるほどよくわかった」という感覚が得られることを指標にします。
わからない表現が出てくるたびにこの方法で意味の分析と作文練習を繰り返せば、いつの間にか英文を見たときにニュアンスが感じ取れたり、自然と英語表現が口から出てくるようになると思います。
まとめ
・人は意識を向けている対象についてより効率よく学習する。
・言語習得で言葉の「意味」と「つなげ方」に意識を向ける必要がある
・母語と文法をうまく使うことで、「意味」と「つなげ方」を効率よく見つけられる