引揚港「博多」とモニュメント
かつて「岸壁の母」というセリフ入りの歌が流行っていたことがあります。シベリアからの引揚船で帰ってくる息子を待つ、実在の母親をモデルにしたもので、映画化もされました。
1945年の敗戦時には、軍人・民間人併せて660万人ともいわれる日本人が海外に居住。それらを早期に帰国させるため、国(厚生省)は佐世保、博多、鹿児島、唐津、仙崎、宇品、舞鶴、田辺、名古屋、浦賀、函館の11カ所に地方引揚援護局を設置しました。
「岸壁の母」に歌われた港が舞鶴だったためか、引揚港というと舞鶴のイメージがありますが、実際には博多港や浦頭港(佐世保市)の方が、引揚者の数は多かったようです(共に139万人)。
台湾や南洋からの引揚は比較的スムーズだったものの、ソ連が侵攻した満州などでは、強姦や略奪、殺害など、軍(国)に見捨てられた日本人は苦難を極め、60万人近い人たちがシベリアに連れていかれ、強制労働させられることになりました。
博多港に帰ってき引揚者の中には、強姦の結果、妊娠した女性も少なくなく、上陸直前に絶望して自殺した少女がいたことも。当時、中絶手術は違法でしたが、見過ごせないと感じた医師らが国に働きかけ、秘密の中絶施設「二日市保養所」を開設。今は石碑のみが残されています(筑紫野市)。
現在の博多港はウォーターフロントとして整備され、市民の憩いの場となり、「博多港国際サーターミナル」は日本一の乗降人員を誇る国際旅客港となっています。
同エリアには、世界的な彫刻家・豊福知徳さんによる「那の津往還」というモニュメントがあります。博多港の引揚港としての役割を、後世に語り継ぐために設置されたものですが、知らない市民も多いようです。元特攻隊員だった豊福さんの、平和への想いが込められています。
今日は太平洋戦争の開戦日。