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何を書こうか迷った時は?

同時進行でやろうとしがち

 何事にも限度というものがある。人間の目は二つしかないし、鼻の穴も二つしかない。もちろん耳も二つしかないし、なんなら口なんてたった一つしか開いていない。それで同時に三つのこと四つのことやろうとしたとて、できるはずがないのだ。
 人間には器用に動く指先があって、しかもそれが両手に五本ずつ、計十本も備わっている。なんだ、これだけ器用に動かせるのであれば、いろいろと都合がよいではないか。などとのんきに考えられる人はいない。
 人間の両手でできることなどたかが知れているのだ。キーボードなんて両手を使って一つしか叩けない。ギターを弾こうにも、イラストを描こうにも、結局両手が必要だ。同時に二つ以上のことなど、よほどの天才でもない限りできっこないわけだ。
 昔から、猫の手も借りたいなんてことわざがある。猫の手を見てみてほしい。彼らはかわいらしい肉球こそついているものの、器用に動く指も無ければ、文字を書く知能すらない。あるのは鋭いかぎづめと、憎らしいほど愛らしい存在感だけだ。
 とまぁ、どうあがいたところで我々人類には同時進行という無理難題をこなせるはずがないわけだ。ところが、世間様は全く持って優しくない。事あるごとに複数個の仕事を投げてきては、同時進行で進めることを強要してくるわけだ。
 そんなことできるはずがない。そもそも一転特価ですら難しいというのに。と突っぱねてしまいたいが、そうもいかない。やるべきことは一日の中で複数個存在している。それこそ仕事を除いても、掃除洗濯料理といった基本的な家事。歯磨きやお風呂、髭剃りや化粧、人によってはダイエットや勉強など、毎日の生活に取り入れるべきToDoが溢れかえっているのだ。
 さて、小生の場合はどうだろうか。小生は今から十年以上も前から配信者という肩書を持って活動を行っている。活動の中には、当然配信活動が含まれるほか、撮影した動画の編集、SNSを通した発信活動なんかもやるべきことリストに含まれている。そして、わざわざ自らの首を絞めるようなことをするのは馬鹿げていると思われるだろうが、小生は小説家を目指して執筆活動も行っているのだ。
 インターネット上にある小説投稿サイトへ作品を掲載するだけでなく、定期的に開催される出版社の小説公募への応募。そのほか、最近始めた同人誌即売会で販売するための自費出版。とまぁ、書くべきことも多いわけだ。
 幸いなことに、小生は昔から文章をしたためるのは好きだった。人と話をするよりは、脳内に浮かぶよしなしごとをキーボードに叩き込む方が性に合っている。口で喋るとどうしても思考に言葉が追いつかず詰まってしまうが、こうして文章に起こせばゆっくりと自分自身の言葉を見返すことができるのだ。
 今小生は何を考えているのか、そしてこれからどうしたいのか、そもそも何に悩んでいるのか、解決方法を求めているのか、それとも共感してほしいのか。人は喋っている間に自分がどうしたいのか、同時進行で考えることはできない。先ほども言ったように、人間というのは同時進行で生きることなどできない存在なのだ。当然だ。脳は一つしかないのだから。
 であるから、たいていの人間は二つのパターンどちらかを選択する。
1:先に考えたことを口にする。
2:口にしたことを後で考える。
 先に考えたことを口にするタイプの人間は、会話のテンポが遅い特徴がある。相手から投げかけられた疑問や、今上がっている話題の命題について頭の中で思考し、自分なりの答えを導き出す。それを口頭表現する際に、どのような語彙を用いるのが適切か考える。そうして紡ぎだされた言葉を脳内で整理し、加えて相手の反応を予測する。相手の反応次第でどういう話題転換をすべきか、くらいは脳内で考えて言葉にするのだ。
 しかし、そんなグダグダと考えている間に話題は次へ次へと流れていく。学校でよく話題についていけず無口になりがちな人間の多くはこれだ。頭の中でいろいろ考えすぎて、言葉に出せないタイプ。
 こういうタイプは、基本的に日記を書くことをお勧めする。自分の考えについて、他人との会話より自分自身との対話を行った方が深く理解できるはずだ。
 また、こういうタイプの人間は特徴として、一言一言の火力が高い傾向にある。簡潔に言えば、上手いことを言うのだ。周囲を納得させられるくらいの深い言葉を放ったり、思わずくすっと笑ってしまうようなダジャレを放ったりと、会話テンポさえ目を瞑ればなかなかに面白いことを言う。
 さて、もう片方のケースを見てみよう。口にしたことを後で考えるタイプだ。こちらは、脊髄反射で会話しているタイプだ。よくノリがいいと言われるタイプがこれに当たる。その場の空気間やノリに合わせて、言葉の意味など一切考慮せずに口からワードがポンポン飛び出してくる。
 このタイプは勿論会話が得意だ、と言ってしまいたいのだが、案外そうでもない。割と何も考えず口走っている場合が多いため、会話の大半は意味のないことで埋め尽くされている。そもそもこういうタイプが無限に言葉を紡ぐ時は、たいてい感情が高ぶっている時だ。それが喜びの感情ならまだいいのだが、怒りや憎しみだと手が付けられない。周囲の空気や人間関係なんて一切気にせず滅茶苦茶なことを言い出す始末。しかも自分の言葉について深く考えていないものだから、後でなんであんなことを言ってしまったのだろうと後悔しがちになってしまう。
 もちろんこのタイプにもいい点が多い。まず、その場の空気を構築する能力が極めて高いことにある。ノリがいいというのは社会で生きていくうえで非常に重要な要素だ。なにせこの世界は、たいていのことがノリと勢いで何とかなっているのだから。
 そしてこのタイプは、後で失敗を学習し、さらに会話レベルを引き上げてくる傾向にある。どの発言がウケたのか、どのセリフで盛り上がったのか、何度も試してどんどん学習し成長していくタイプなため、面白い人として認知されるのだ。こういうタイプが配信者になれば、きっと盛り上がるだろうにと小生は思う。まぁ、その分炎上もしやすいだろうが。
 さて、ここまで二パターンの会話術を見てきたが、大体の人間がこの両方の性質を持っているだろう。どっちかに偏るなんてことは無いはずだ。学校や会社では、頭で考えてトークするタイプだが、親しい間柄ではついつい考えより先に言葉が出てしまうなんてこともあるだろう。本来はバランスよく扱える方がいいのだが、最初にも述べた通り人間はそう都合よく同時進行で物事を成すことができない生き物である。
 さて、小生がこうして小説を書いているのは、配信や日常会話で生み出された、思考していない言葉たちについて自問自答を行うためでもある。そんな、同時進行でやりたいことはあれど上手くできない小生自身の悩みについて、今日は深堀しようと思う。

書きたい話が無限大

 創作物を書いている人間にありがちなことだと思うが、最後まで書ききれないということに小生は悩んでいる。いや、これは創作物に限った話じゃないかもしれない。それこそ受験勉強のために買ってきた参考書や、今視聴中のアニメドラマなんかにも当てはまるはずだ。
 本日の命題にある通り、人類は基本的に同時進行で何かをこなすことなど不可能な生き物だ。もし今ハンバーグを作っているのなら、同時進行でギター演奏などできるはずがないだろう。
 しかし、人間はどうしても欲深い生き物で、それでいて空きやすい性質を持っている。その理由は、先ほど挙げた会話パターンが大きく起因している。
 まず、人が何かをしようと作業している時、人の脳は考えて喋るパターンと似た動きをしているのだ。じっくりと作業の本質を見極め、必要なところにメスを入れる。例えばハンバーグを作っている時、調味料の分量や玉ねぎをカットするサイズ、火加減やソースについて頭を悩ませる。そして体に命令を出すわけだ。
 勝手に体が動いて、気づいたらハンバーグができてました。なんて人はこの世に居ないだろう。必ず人間は何かの作業をする際に、頭でプロセスを思考し、そこから行動に移すわけだ。
 しかし、人間には頭で考えるより先に言葉が飛び出てしまうパターンがあると先ほど述べた。実は作業中、または作業前にも似たようなことが起きているのだ。例えばハンバーグを作る工程で、玉ねぎをカットする過程をクローズアップして見てみよう。
 まず、我々はハンバーグを作るために、玉ねぎをカットした方がいいよなぁ、と考える。次に行動だ。玉ねぎを取り出し、サイコロ状にカットする。すると今度は順序が逆転するわけだ。今玉ねぎをサイコロ状にカットしているけど、これそのまま卵と一緒に炒めたらチャーハン作れるんじゃね? なんて脳が動き始めてしまうのだ。
 まぁ、たいていの場合そんな急展開なかなか起きないと思うが、もし仮に玉ねぎカットを三時間ほど行っていると仮定したらどうだろうか。こんなにたくさん玉ねぎカットしてるんだったら、もうハンバーグやめてオムライス用にチキンライスでも炒めちゃおうかな、なんて心変わりが起きてもおかしくはないだろう。
 最初から最後まで、ハンバーグを作るために作業を続けられる人が果たしてどれだけいるだろうか。
 話が突拍子もなさ過ぎて理解できなかった人もいるかもしれないが、つまり我々創作勢の脳内では今のようなことが日々行われているのだ。
 今思いついたこの設定、別の作品で活かせそうだぞ。今頭に浮かんだこのフレーズ、別の曲で使ってみようかな。今偶然できたこの色、別のイラストで使ってみようかな。みたいなことがポンポン起こるわけだ。創作作業中の脳内は、道草を食うためのアイディアが湯水のごとく湧き出して止まらない。
 結果的に、同時進行で執筆を始めた作品が十作品近くまで登り、結果としてどの作品も最後まで書ききれないなんてことになってしまうわけだ。
 いいや、そんなの言い訳に過ぎない。特に我々小説執筆者は、筆休めと称しては短編小説を手掛け、その設定が面白かったからと一部再利用し長編に手を出す。その途中に生まれた副産物があまりに魅力的で、再び筆休めという名の新作へ筆が伸びてしまう。
 これを繰り返していようものなら、いつになってもゴールにはたどり着けないわけだ。
 アニメを同時に十作品ほど見ていて、だんだんダレてきて結局最終回は見てません。なんて人も、これを読んでいる人の中には一定数混じっているのではなかろうか。あの感覚に非常に似ている。結局最後まで書ききれないまま、まぁいいかで終わらせてしまうのだ。気が向いたら最後まで書くでしょと自分に言い聞かせて。ところが、視聴中のアニメもそうだがしばらく時間が空いて内容を忘れてしまっては、最終回を見たところで楽しさ半減だ。
 あれ、そんな話だっけ。と疑問を頭に浮かべたまま終わってしまう。それは非常にもったいないことだと思わないかね。
 故に、創作勢にとって一番重要なことは、一度最後まで全力で書ききってしまう姿勢であると言えるだろう。
 もちろん一つのことだけ集中していても飽きてしまうし、最後まで書ききったところで校正する体力も残されてはいないだろう。そういう意味で、筆休めとなる別作品の掛け持ちは必要なのかもしれない。
 だが、とにかく最後まで書き切る。これを目標に掲げなければ、終わるものも終わらないのである。
 さて、ここまでを通して、小生は明日の自分へエールを送ろう。
 いいかい野々村あこうや、とりあえず今書いている小説が十万文字に到達するまで、他の作品に手を出すんじゃないよ。
 書いていいのは、週に一回の筆休め短編小説のみさ。それを書いておくと、後々今書いている小説が完成したとき、次に何書こうか迷う必要は無くなるからね。
 とにかく、今は自身が掲げたToDoを書き切ってしまいなさい。途中溢れ出したアイディアはメモに取っておいて、週に一回の短編小説執筆日に一万文字程度の小説としてまとめてしまいなさい。
 どうせお前は、一万文字の小説をプロットに見立てて、十万文字の小説も書けるだろうさ。自分を信じて、今はひたすら作業に没頭しな。

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