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「慰安婦奴隷説をラムザイヤ―教授が完全論破」感想文 ②

 昨日は、ラムザイヤーさんの本の感想を私が書きましたが、友人のミオさんも素晴らしい書評を書いているので、今回は、その書評を紹介したいと思います。


ラムザイヤ―教授による慰安婦性奴隷説完全論破 書評  ミオ
 
年季奉公という言葉は、日本人にとってはなじみがあり違和感を覚えません。本書ではこれは織田豊臣政権以降から発達した農村からの労働力調達方法だったと記しています。働く期間を定め、その間に労働従事者が稼ぐと思われる金額を本人または親に前払いする。その契約のもとに雇われた(あるいは買われた)本人は、月々の給料から前払い金を返済し、返済を済ませるか、契約期間が過ぎれば年季明けといって雇用者から自由の身になるという制度です。その間に身につけた技術なりを生かして生計を立てていく。のれん分け、などもその一つです。災害、飢饉の多い日本の貧困を救い、かつ経済労働力を補う昔からの制度です。
ラムザイヤ―教授が書いたこの本は、1920年以降の世界恐慌の頃から、年季奉公によって多くの貧困な農家の娘たちが売春婦として遊郭に稼ぎに出かけた。大東亜戦時下においては、慰安婦として一定の契約のもとに女性たちが働いたという多くの文献、政府・軍部による文書を基にした論文を提示し、かつ非難中傷に対する反論をまとめたものです。年季奉公=奴隷、慰安婦=性奴隷説を完全論破しています。この視点は、教授が米国籍のアメリカ人であり、生後6か月で宣教師の親と共に来日し、宮崎で育ち地元の小学校に通い高校まで日本で育った背景を持つという故郷の原風景が日本の風土文化に根差し、二つの国を故郷とする人ならではと思います。教授の専門が日本法学であり、偏見や私情、イデオロギーを超えて論理を述べている点に注目します。
宮尾登美子の自叙伝的小説の「櫂」に父親は女衒だった。自分が幼い頃、何人かのお姉さんたちが自分の家に住み込み、そしていつの間にか姉さんたちは置屋や遊郭に引き取られ、別の新顔の姉さんと入れ替わっていた。宮尾登美子は、恵まれない境遇の中を強く生きた女性の生きざまを描く小説が多くあります。また、記録的視聴率をとった「おしん」のテレビドラマの中にも貧しいがゆえにおしんが子守として仲介業者に引き取られ、雪の中小舟で冷たい川を「かあちゃ~ん、かあちゃ~ん!」と切なく泣き叫びながら下っていくシーンが今でも脳裏に焼き付いています。
日本では吉田清治の朝鮮人女性の慰安婦狩り、強制的に性奴隷として働かせたという捏造話を事実かのように朝日新聞が華々しく取り上げ、日本の国際的人権の信頼性を損ね、韓国による底なし沼の賠償金請求問題に発展していきました。
米国内の大学教授たちの左傾化が顕著であることにも驚きます。左翼人道主義の名の下に【慰安婦=性奴隷説】を掲げ、イデオロギー的多様性を認めず、異説に対する寛容さを失っていることを本書によって知りおぞましさを覚えます。
韓国では昔から『声闘』(ソント)という伝統があり、現在でもそれがお家芸となって左傾化した活動家が繰り返し用い、声高に性奴隷、強制連行を叫び賠償金を要求し止むことがありません。そこには理論もへったくれもなくただ相手が疲れ果てて言い返すことを止めるまで大声で早口に居丈高に相手を屈服させるというものです。また李氏朝鮮時代から奴婢という奴隷が存在していました。身分は世襲制で奴婢から生まれたら一生奴隷として主家に使える身分。年季が明ければ自由な立場になるという思考そのものが存在していなかったと思われます。
米国においては、16世紀初頭イングランドやアイルランドまた欧州から貧しい農民が新天地を目指して渡米する際の渡航費用、当座の費用を前払いで受け取りその負債が終わるまで雇用者の下で働くという雇用形態がありました。しかし、1650年以降アフリカから労働力を調達する奴隷制度を用いそれが定着していきました。韓国も米国も共通した奴隷制に対する後ろめたい思いがあり、悪辣な日本軍が戦時中慰安所を置き、そこに強制的に慰安婦を送り込んだという奴隷制を安易に肯定したのではないかのではないかと、これは私の仮説ですが。
この本が、真摯な誠実な多くの人々に読まれることを願っています。そして安倍元総理の念願だった戦後レジームからの脱却、日本を取り戻す、ための大きな一歩とならんことを念願します。久しぶりの良書です。


 ※ なかなか良くまとまっていますね。

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