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漫画を読む前は小説を読み、同じころ昨日は映画を思い返していた

『違国日記』第10巻を読みました。

中身のあることを書こう、というのじゃなく、
ただ読んだすぐの、浮かんでは消える気持ちだけを置いておこうと思います。
この漫画、読みだすのに深呼吸が必要で、覚悟も必要で、
それなのにふと読み始めてみれたりする。


ああ、
槙生さんと実里さんが、私と姉に思えてぐぅっとなる。

朝ちゃんのパートを気を抜いて読んでいたら、
唐突に、場面のつながりが切断なく繋がって、時間も場所も超えたところで話がつながりだすから、それもあまりにストレスなく着地してしまうから、「え?」ってなる。
こんなに軽々運ばれておいて、止まるなよ。
なんて思いながら。

“やりたいことをやりなさい”って、なかなかな難題を吹っかけてくれるよな、と今も思う。
学生の頃に、よく言われるらしい。(私は言われなかったな)
大人だけど、今でも私は自分に言い聞かせている言葉。
言われるたびに少し途方に暮れてしまう言葉だ。
そういう言葉が好きだけど、
本当に足場の弱い時分には、自分を肯定しきれないときには、
しんどい言葉だろうなぁ。

朝ちゃんの、
日記の中のお母さんとナチュラルに話しをしている場面、好きだ。

えみりちゃんとしょうこちゃんの一話が、
なんだか泣きそうになった。

『違国日記』を読む前は、
『指輪物語』を読んでいた。

『指輪物語 二つの塔 下巻』ではミナス・モルグルの空気を吸って(なんといっても花が墓場の香りを吐き出すような場所)から、おそろしく急で、滑りやすくて、危険な階段を上って、
息も絶え絶えになったあと、つかの間の安らかなサムとフロドの時間に寄り添っていたら、どうしようもなく泣きたくなった。
ああ、映画の会話の場面だ、と思いながら、
あの場面とはまた違った気持ちになっていた。
身を削る決意の言葉。
奮い立たせなくてはいけない。
そんな張りつめた言葉だったものが、
ここでは彼を安らがせるために語られていて、
旅の終わりがゆっくりと近づいてきてしまうことを、
私も覚悟しなくてはいけないと感じる。
まだ二冊ある、なんて思っていてはいけない。

そして昨日のこの時間は、
夕方に見始めてしまったNetflixの映画『西部戦線異状なし』を見て、
放心することを半分許し、
半分には、映画の映像を思い描き続けるように命令していた。
なんていう映画だ、と思いながら、なんて美しい場面のある映画だったんだ、とも思っていた。
飛び散る血や肉でもなく、凹まされる頭蓋骨でもなく、血を吐きだせず口の中に泥をねじ込まれる兵士の苦痛でもなく、一番胸に苦しく迫ったのは、
最初の死んだ兵士から軍服が剥ぎ取られ、
運ばれ、洗濯され、破れを繕われていくその工程の全てに、
きしむような痛みがあった。
あれだけでもう十分戦争の悲惨さは描けていると思った。
誰も帰れなかった、同じ世界には。
そんな現実が転がされる映画だった。

なんだか自分を追い立てるようなものばかり見ている気がしてしまう。
とてもいい時間だった。



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