多行書きの修辞的意図と修辞的効果/飯島章友
一、短詩型作品の多行書きとは何か
みなさんは短詩型作品の「多行書き」と聞いてピンとくるでしょうか? 「まぁ要するにあれかい、石川啄木みてえな書き方か?」という方がいたら話が早い。そう、多行書きとは、啄木のように行分けする表記法のことです。彼の第一歌集といえば『一握の砂』(1910年)。その特徴として知られるのは三行書きの短歌です。
砂山の砂に腹這ひ
初恋の
いたみを遠くおもひ出づる日 石川啄木
ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心
※心苦しくはありますがルビは筆者の判断で省略しました
啄木の短歌の特徴は口語的文体や和歌的美意識からの脱却など色々とあるのですが、いちばん分かりやすいのは多行書きの採用でしょう。明治以降の短歌は一行で書くのがお約束になり、それは現在も変わりません。ところが、啄木に代表されるように、三十一音を任意に行分けし、三行なり五行なりにするスタイルが明治末頃から現れたのです。それを多行書きと言います。
ちなみに、多行書きという呼び名は便宜的なものでしかありません。決まった呼称がある訳ではないのです。多行形式と呼ぶ人もいます。多行表記と呼ぶ人もいます。分かち書き、多行式○○、○行書き、○行分かち書き、なんて呼ぶ人もいます。そんな現状ではあるのですが、ここでは「多行書き」で統一していくことにします。
では、まず初めに、なぜ私が多行書きについて書こうとしたのかをお話しさせてください。きっかけは五行歌というジャンルを知ったからでした。「五行歌? なんでぇそらあ」 という方も少なくないと思います。とりあえずここでは、五行に分けて書く詩歌の一分野、くらいに捉えておいてください。
私がハッとした五行歌は次の作品です。
あっ
春
風の
芯が
まるい 酒井映子
『ひまわりの孤独』(市井社、2012年)より。この五行歌、ちょっと皆さんの脳内で一行書きに直してみてください。紙に書き記してもいいです(ちなみに脳内でと言ったのは、自分以外の作家の作品には手を加えづらいからだったりします)。どうでしょう? 五行に分けたときとイメージが変わってくるのではないでしょうか。
これはたった十三音の歌。その少ない音数を五行に分けたことで作品となりました。語り手が風を感じている感覚。風の質感を感受する時間の経過。それらは五行に分けられたからこそ読み手も疑似体験できるのです。そこに気づいたとき、一行書きとは別の魅力を多行書きに感じた次第です。
さて、私は先ほど、明治以降に一行書きがお約束になったと言いました。でも、面白いことに各種メディアや愛好家には多行の表記が多いように見えます。句切れごとに一字空ける表記も多いですね。テレビが短詩型作品を取り上げるとき、公募川柳の入選作を発表するとき、あるいは愛好家が自作をSNSやブログにあげるときなどがそうです。これにはどんな事情があるのでしょう。
明治時代以前の詩歌は「散らし書き」で書かれることが多かったと聞きます。これは敢えて詩歌を数行に分けたり、その行間の余白を不均衡にしたり、行頭の高さを揃えないようにする書法です。その影響がメディアや愛好家に残っているということなのでしょうか?
それも多少はあるでしょう。でも、おそらくですが、万人が読みやすいように行分けしているのだと思います。「短歌や俳句ってのは句読点がねえし、読みにくいったらねえな。句切れで改行しとくか」――こんな感じだと想像します。
それに対して、専門作家が使う多行書きには何らかの「修辞的意図」がある気がしてなりません。次の項ではそれを考えてみたいと思います。
二、多行書きの修辞的意図
私は今まで様々なレトリックに興味をもち、自分の句集『成長痛の月』(素粒社、2021年)にもそれを反映させてきました。特に「句意を刈り取れ/レトリカを行く」はレトリックを全面に出した章です。ところがです、そんな私も多行書きに興味をもったことはありませんでした。一行書きがあまりにも当たり前すぎたからです。
俳句の世界では高柳重信の試みを受け継ぐなどして、少ないながらも多行書きの書き手がいるようです(gooブログ「『詩客』俳句時評」には丑丸敬史「多行俳句時評」など、多行に言及した記事が幾つかあります)。なので、俳人の方には私よりずっと見識の深い方がおられるでしょう。一方、短歌や川柳の世界はどうでしょう。現在、多行書きで思い浮かぶのは歌人の今橋愛くらいです。参考までに今橋愛の第一歌集から代表的な作品を引いておきます。
「水菜買いにきた」
三時間高速をとばしてこのへやに
みずな
かいに。 今橋愛
『O脚の膝』より(北溟社、2003年 ※新装版が書肆侃侃房から2021年に発行)。四行短歌です。「みずな/かいに。」の行分けと平仮名表記とが相まって、何とも言えない切なさがあります。他方、捉えようによっては心理スリラーっぽくもあるでしょうか。
さて、五行歌の創始者である草壁焰太は、「私が五行歌という形を発想した直接の動機となった歌があります」と書いています(『五行歌入門』、東京堂出版、2001年)。
麦畑だ。
楢󠄀の林だ。
高圧線の大鉄塔だ。
六月だ。
野だ。 矢代東村
未刊『溶鉱炉』より。矢代東村は明治22年生まれの歌人です。もしこれを一行短歌で書いたなら、終止形だらけでこなれません。最初から多行を前提にした作品でしょう。そして、その多行をいっそう効果的にしているのが「だ」の脚韻です。また中央の行に、「高圧線の大鉄塔だ。」という長句が置かれているのも見逃せません。何かこの行だけ異物みたいです。自然と人間、古里と近代の関係性が暗示されているのでしょうか。
東村は二行〜六行の多行書きを試みています。そこには修辞的意図をもった試行錯誤があったと見ていいのではないでしょうか。
ここまで短歌と五行歌を例にとり、専門作家の多行書きには修辞的意図があることを示唆してきました。では、俳句や川柳の世界ではどうなのでしょう。俳句では高柳重信が、川柳では松本芳味が多行書きの代表格です。
船焼き捨てし
船長は
泳ぐかな 高柳重信
これはたたみか
芒が原か
父かえせ
母かえせ 松本芳味
それぞれ高柳重信『蕗子』(東京太陽系社、1950年)、松本芳味『難破船』(川柳ジャーナル社、1973年)から。両句とも四行句と言っていいと思います。それぞれ俳句界・川柳界ではよく知られている句です。
重信の句の一行空けは、短歌や川柳に見られる一字空けよりも余白が多いため、いっそう心理的・時間的な「間」を感じさせます。
一方、芳味の句は脚韻やリフレインが心地よい句です。しかし、その内容は呻吟を感じさせます。思うに、この句が一行書きだったなら、語り手一人の呻吟として読んだことでしょう。ところが、四行書きだと視覚的効果なのか、民衆の多声的呻吟にも感じられてきます。
さて、ここからは短詩型専門作家の修辞的意図をもう少し具体的に分析していきます。再び啄木に戻りましょう。彼の三行書きですが、『一握の砂』で使用例が多い歌形は次の順だそうです(馬場あき子編『韻律から短歌の本質を問う』所収「口語と出会った短歌律」、岩波書店、1999年)。
①57 5 77
②5 75 77
③57 57 7
④575 7 7
こうして三行書きの歌形を幾つか見ると、読みやすくするために行分けしているのではないのが分かります。
では、この文章の初めに引用した啄木短歌の二首目を見てみましょう。これは③の形です。この歌形は五七の反復によって読み手に心地よさを与えながら、結句に至り最大の見せ場を持ってこられる強みがあります。
①ふるさとの訛なつかし
②停車場の人ごみの中に
③そを聴きにゆく
→①意味の切れ目で一旦改行
→②意味の切れ目ではなくても改行し、③の「そ」を際立たせる
啄木がこういう意図で改行したかは分かりませんが、改行の修辞的意図を推察すると「理」が見つかるのです。
この短歌、意味の切れ目は一行目「なつかし」のあとにだけあり、その後は最後の「ゆく」まで切れ目がありません。しかし、啄木は敢えて二行目「人ごみの中に」のあとで改行します。それによって最終行の冒頭に「そ」が置かれ、際立つという訳です。単なる訛りではなく「そ」を聴きにいくのですから、そこが最大の見せ場でしょう。ならば、直前で改行しない手はないのです。同じ歌形の〈たはむれに母を背負ひて/そのあまり軽きに泣きて/三歩あゆまず〉も、最終行が際立つ構造です。
もう一首見てみましょう。今度は④の形です。この歌形は長い十七音のあとに二つの七/七があります。よって七/七の両方を際立たせられる歌形です。
①不来方のお城の草に寝ころびて
②空に吸はれし
③十五の心
→①十七音まで伸ばし次行の急転を活かす
→③直前の改行によってキーワード「十五の心」が際立つ
「寝ころびて/空に吸はれし」は急展開です。さらに次行の「十五の心」もこの短歌のキーワード。これら二つの大切な七音を際立たせているのが、一行目のゆったりとした長さであり、ゆったりとした情景でしょう。〈東海の小島の磯の白砂に/われ泣なきぬれて/蟹とたはむる〉にも同様の構造があります。
なお、この短歌には意味の切れ目がありません。「十五の心」に収斂していく内容です。つまり、一本の棒のような構造です。多行書きの行分けは意味の切れ目でなされる訳ではない、というのがこの作品でも分かります。
明治末期に三行書きを試行した啄木には驚かされます。ところが、何と! 啄木よりも早く三行書きを始めた歌人がいます。土岐哀果(のちの土岐善麿)です。彼は第一歌集『NAKIWARAI』(1910年)でローマ字三行書きを試みていたのです。これは『一握の砂』の八ヵ月ほど前。啄木の三行書きはこの歌集の影響もあったのでした。
Ishidatami,koborete utsuru Mizakura wo
Hirou ga gotoshi! ――
Omoiizuru wa 土岐哀果
歌集の第一首目です。これは、読みづらい。ぼやき漫才の人生幸朗だったら、「こんなん目ぇがチカチカして、よう読めへんわ。責任者出てこい!」と、お決まりのフレーズが飛び出しそうです。とは言え、この短歌も三行目の改行によって倒置が活かされています。
三、多行書きの修辞的効果
最後に、一行の作品を敢えて多行作品に改作する実験をしてみたいと思います。勿論、この文章内だけでのことです。一行書きと多行書きとでは一体何か違うのか。多行に変えることで一体どんな修辞的効果が得られるのか。その参考になる作業だと思います。と言っても、勝手に他者の作品へ手を加えることはできません。そこで、私自身の川柳でそれを試みてみます。
Re:がつづく奥に埋もれている遺体 (原作)
Re:がつづく奥に
埋もれている
遺体 (改作)
三行書きにしてみました。原作のほうは下五の「遺体」に収斂していく文体です。「奥に埋もれて/いる遺体」の句跨りやi音の連鎖とが相まって、一行書きの良さが出ている気がします。
改作のほうは、「Re:がつづく奥に/埋もれている/」と改行を使ってじらしながら、最終行で「遺体」がクローズアップされるカメラワークです。文字数が最後の行へ向けて段々と少なくなっていくのも句の内容に適している気がします。こうして見るとどちらの形にも理があり、それぞれ違う良さがあるように思えます。
空をぱりんと割る冬花火 (原作)
空をぱりん
と
割る冬花火 (改作)
七七形式の川柳です。一音の行を試みてみました。前出の『五行歌入門』によりますと、「と」一字の行というのは、五行歌で誰もが使うようになっている技法だとか。また同書では、活動弁士として有名な徳川夢声に言及し、次のシーンが例示されています。
「武蔵、おまえの負けじゃ」
と
沢庵は言った
夢声の朗読による『宮本武蔵』(吉川英治著)はあまりにも有名ですね。素人が朗読するばあいでも自ずから「と」の前後に間を置くはずです。
私の七七川柳の改作もこれと同じです。「と」の前後に間を置いたほうが「ぱりん」も「割る」も活きてきそうです。これは有効かも。もっとも、そのときの間の長さは読み手の身体感覚によります。
ちなみに、殆どの方がご存じだと思いますが、吉川英治は柳人でもありました。「貧しさもあまりの果は笑ひ合ひ」は有名な句です(『吉川英治文庫 川柳・詩歌集』、講談社、1977、初出は「大正川柳」28号)。
では、最後の改作を見てみましょう。
あれが鳥それは森茉莉これが霧 (原作)
あれが
鳥
それは
森茉莉
これが
霧 (改作)
今度は六行にしてみました。この句の改作のばあい、平仮名と漢字のコントラストがいっそう目立つかも知れません。多行書きの特徴は、詩歌の調子を明確にすることと、視覚的効果にあります。この六行書きの改作にはその両要素がありそうです。
ただ、このブツ切れ感が嫌いな方もいることでしょう。そもそも和文では、長いあいだ句読法は使われてきませんでした。記号が使われ出したのは主に木版印刷の書籍からだそうです。十七世紀以降ですね。それ以前は終止形や息継ぎ箇所などで、切れや文末を判断していたのだと思います。短詩型文学は昔の和文の形が残っている分野です。短詩型作品を読み慣れている方ならば、一字空けや句読点がなくても作品の間や切れ目を感じ取れるものです。そういう方からすれば、この六行の改作は煩わしいかも知れませんね。
多行書きは、短詩型文学の世界ではあまり話題にあがりません。実践者が少ないので仕方がないですね。でも、光を当ててみると案外面白く、また奥が深いものだったのではないでしょうか。
初出「What’s」Vol.6(2024年4月)
※一部加筆修正しました