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あれから1年

noteで日記ともいえない雑記を書くようになってからちょうど1年が経った。書くようになった、と言っても、めっきりご無沙汰となり、3ヶ月ぶりの更新ではあるのだが…。1年前の記事を見てみると、コロナ禍の日常を記録するという志が綴られている。あのころはまだ秋田にいて、ニュースでは連日コロナで持ちきり、徳島県のニュースでは、県外ナンバーの車に対し嫌がらせが行われるなど、感染拡大に際し報じられた地方の小さな騒動に強い違和感を覚えたものだった。あれから1年。まさか、3度目の緊急事態宣言が発出され、ワクチンの接種が先進国ではまれに見るほど遅れをとっていて、まさに「先が見えない」事態が続いていようとは想像もできなかった。東京五輪の開催という変数が、コロナ禍の社会の混乱に拍車をかけているように思われる。もし、2020年のオリンピックの開催都市が東京でなければ、日本の感染防止対策はどうなっていたのだろうか。無論、人の流れを抑止しながら経済を回すという困難な連立方程式には直面していたことだろう。ただ、政府がやることなすことのすべてに、「どうせ五輪を開催したいだけのつじつま合わせだろう」と疑心を覚えることは少なくともなかった。昨年から続く非常事態にあって、政府の”人格”を信頼できないことが致命的に不信を増長させる。「丁寧に説明する」と言って何も説明しない、そんな姿勢がまかりとおりすぎてしまった。なにも言わずに、すべて見通しているという体で局面をやり過ごすのは、密室の駆け引きだけにしてもらいたい。時代はもっとオープンで、透明で、公正であることを求めている。

そんなわけで、コロナによる社会の混乱は1年たった今、なお深まっているように感じられるわけだが、いい加減、疲れるものだ。この春の闇の深さにとことん絶望しながらも、それでも日々の彩りを与えてくれることの1つが、エンターテインメントである。今季のドラマも力作がそろった。中でも出色なのは、「大豆田とわ子と三人の元夫」である。何気ない会話から浮き立つ登場人物たちの人間としてのやるせなさ、近距離でみると悲劇なのかもしれないが、ズームバックして劇としてみたときには爆笑を生み出す。そして、先週の放送回では、3人目の元夫と大豆田とわ子とのカフェでの会話にほろっとさせられる。会話とは、言葉とは、何よりもおいしい「いちごタルト」になるのである。私も、あんないちごタルトに出会うことがあるのなら、この先の日々も捨てたものではないなと思わせられるのである。

この困難で苦難で艱難辛苦の時代にエンタメをつくり、届けてくれるすべての人々に感謝とリスペクト。逆に、そのありがたさを教えてくれたのがこの1年のコロナ禍だったのかもしれないと思えるほどに、尊い。


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