山頂にも街にもいない日
『リサーチのはじめかた』を読んだ。
研究者になる方法ではなく、自分の中から問いを生み出し、問いを研究に耐えられるよう形作っていくための本だった。研究は何をしたっていい。どんなことだって研究できる。けど、研究によって、自分が取り組むからこそ、自分と世界が豊かになるような研究をすべきなんだと思う。例は人文社会科学系だったし。そのために書かれた方法論の本だった。
興味のままに論文を読むと、大抵自分の知らない世界が広がっている。同時に、人の頭の中をのぞいている感じもする。それを自分の頭の中に持ち帰り、整理するのはまた別の話である。毎日楽しく外にあそびに行くだけでは(それも大切なんだけど)、自分の家の中は居心地のいいものにならない。
長田弘の詩を読んだ。
研究と詩の言葉の使い方の違いを感じる。語感や響き、構成や順序、もしかしたら視線の移動すら考えられ、絵画が描かれていくような別種の巧みさがある。言葉の意味や情景でなく、坂の上で夕日に照らされた街を見た、あの心が動いた瞬間の感覚を受けとる。世界と自分の出会いを、言葉でページに閉じ込めている。
言葉に自分の感覚が貼られていく。
論文で人の頭の中を見れるのは、あるポイントたちを順番通り経由していくことで、その人の歩いた歩き方で辿れるからだ。論文を読むと知ったポイントは増えていく、通った世界は広がっていく。けど、その付箋は自分がつけたのか?
類推や比較が得意だった。
そうやって使ってきた言語感覚は、人の論文を読み、問いを生み出すことに足を引っ張った。あるポイントから伸びる尾根は、また他の山と繋がっている。日々の天候の中で、道が見えたり見えなかったり、新たな繋がりに気がついたりする。その景色に自分で驚き、興奮し、私が行きたかった道を見失う。この文章も、研究指南にしては語るような文体や、詩に最近の登山の感覚を思い起こされたことに簡単に影響された。そして、この自分は同じ形ではいてくれない。
多分、平日は会社に勤務し、土日は家族と一緒にいたら、私はある範囲内におさまって生活ができる。仮住まいの不安定な生活は、なぜか言葉と日々別れ、出会い直すことに拍車をかけた。出発したときの自分の形も、明日の自分の形もわからなくなってしまう。かろうじて今日の自分で書き留める。そんな自分でどうやって先人と対話し研究ができるのか。
多くの道を歩いたから、人の道を辿ること、道の破綻に気づくことにうまくなった。けど、自分の道を作ること、誰かに教えることは相変わらずとても難しい。ひとつの付箋をつけた経緯を考えるだけで、私の話は冗長になる。あるポイントだけを相手に渡せない。その道と眺めを伝えられないのなら、意味がない。意義もない。迷子になる割には、また同じ山を案内したい。そうでないと、人は混乱してしまう気がする。
時折、私がその場から遊離している。
母が、中学の担任に「なぜ彼がそこにいるのかわからない時があります」と言われたことを何度も気にしていた。どうやら場に半分いて半分いないのか、規律を乱し、怒られ、他者を害した時もあった。少しでも誠実でいようとしたが、私のために私を説明しようとするろくでもない鬱陶しさが残った。
けど、私と言葉の(結果的に)気軽な関係に、たまに喜んでくれる人がいる。
自分と言葉の結びつきがとても強い人もいるようで、その確固たる盤石さからどこにも行けなくなってしまうらしい。そうして喜んでもらえるのなら、たまに迷子になってしまう自分も受け入れ、日々変わる世界を笑っていればいい気もする。過剰に自分を記述しようとするのは、いつか誰かが笑ってくれる気がするからだ。それならそれでいい。それがいい。
私の形は、オリジナリティか負債か。
人のいない山で先人に出会えるのか、山を降り街の仲間にいれてもらうのか。常に下山を考えながら、何度も立ち止まり、振り返りながら歩く。
なぜ人は山に登るのか。山頂にも街にもいないから登るのだ。
追記(10/30 夕方)
誰かが読んで何かになればと思って投稿するのに、人に届けようとしないのはおかしな話なので、頭に浮かんだ人に連絡しました。なるマガ。不定期刊行。