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ワンダーガーデン

 私がまだ幼いとき、兄の手に引かれて図書館に向かった。
 兄が小学六年生で私が一年生の頃だっただろうか。
「家にいると危ないから」
 そう言って私の手を引き、遠くの図書館へ向かう意味を、当時の私はあまり理解できていなかった。ただ、なんとなく、兄の両腕にある青あざが痛そうだなと思っていたくらいである。
 図書館で兄は私に面白い遊びを教えてくれた。
 お互いに相手が好きそうな本を選び相手に読んでもらい、その本の中でまた、相手が好きそうな一文を教え合うという遊びだ。
 それを繰り返していると、兄が私のことを考えてくれているとより深く実感できたし、私も兄のことをより身近に感じられ、とても愛しく思えるのだ。この遊びを中学、高校と続けていた。
 図書館は私にとって不思議な庭である。
 知らないことや世界の謎は、ほとんど本や兄が教えてくれた。
 この庭のどこかには、必ず私が求める答えが眠っていた。図書館と家の中だけが世界の全てだった私を、様々な場所に連れて行ってくれた。そこで私は、血の繋がりを持った相手を好きなるということがどういうことなのかを知ってしまった。
 兄のことを家族としてではなく、一人の異性として好きだと自覚したのは、私が高校三年生の夏休みのことである。
 不思議なことは、不思議のままに留めるべきだったのだ。
 社会人となった兄は一人暮らしを始めた。私も同居をして、そこから高校に通えばいいと提案してくれた。それはとても嬉しかったけれど、私は兄の負担になりたくなかったので断ってしまう。
 その代わり、半年に一度だけ会おうという約束をした。
 さすがに高校生にもなると、昔のように絵本や児童文学でなく、大衆小説や一般文芸の本を読むようになってくる。その分、遊びにも言葉の深みや広がりが大きくなるのでより面白いものになった。
 三崎亜紀、辻村深月、重松清などを好んでよく読む中、私は小川洋子がとりわけ好きであった。彼女の紡ぐ不繊細で不透明な描写が、物語から漂うどこか刹那的な印象が、強く私の心を惹きつけた。
 小川洋子の作品のひとつに『薬指の標本』という小説がある。
 その中に「わたしも、あなたにゆだねられる標本の一つになれるかしら」との一文がある。私はこの言葉が一段と好きであった。
 私も、兄に全てをゆだねることができたのなら。
 高校を卒業して以来、兄とは一度も会っていなかった。なんとなく、気まずかったのだ。怖かったのだ。私の醜い恋心を兄に悟られることが。そのせいで拒絶されてしまうことが。
 時が経って、私は大人になった。
 人生の伴侶も見つかり、男の子と女の子の子宝にも恵まれた。
 またこうして、子ども達を引き連れて図書館に訪れる。兄から教えてもらった遊びは、今や子ども達へと引き継がれていく。
 兄は今頃、一体どこで何をしているのだろうか。
 その答えを掴もうと、私は文庫本のページを数枚捲った。

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改めまして、秋助です。主にnoteでは小説、脚本、ツイノベ、短歌、エッセイを記事にしています。同人音声やフリーゲームのシナリオ、オリジナル小説や脚本の執筆依頼はこちらでお願いします→https://profile.coconala.com/users/1646652