令和ロマンの自己分析が自分に返ってきた話
今日は、思いがけないところで自分に刺さる言葉に出会った。
せっかくnoteを書いているのだから、
ちょっと、ここに書き留めてみようと思う。
* * *
その時、私は何気なくYouTubeを開き、流しっぱなしにしてイヤホンで聞きながら家事をしていた。おすすめされるままに、いくつかの動画を経てたどり着いたのが、この動画。
M−1グランプリ2連覇を果たした
令和ロマンのYouTubeチャンネルだった。
ボケのくるまさんと、ツッコミのケムリさんが
自分たちの欠点や弱点をあげて自己分析していく。
結構、ちゃんと落ち込んでしまいそうなダメ出しをしている。
けれども全く暗くならずに、笑いながら「俺達、そうだよな」という感じで受け止めているのが良い。
くるまさんの分析は、冷静だ。
・どちらもツッコミに回ってしまうことがある。
・いじられたくなさそうに見える。
・好きな先輩にキャッキャしてしまう。
総じて、
プロではない。
(俺達は楽しいんだけどね。)
…!!!
そんなワードが出てくる?!と驚きつつ、笑ってしまった。
ああ、笑っちゃったな。気になっちゃうな。と
ここまでは手を動かしながら流し聞きしていたけれど、続きをしっかり座って見ることにした。
続いたケムリさんの分析は、
ゆるい。
けれど、その言葉が自分に刺さることになる、
なんて想像していなかった。
ケムリさん曰く、自分の弱点は
・勇気がない
・意気地なし。スベるのが怖い。
・前に出れない
つまり、サービス精神がない、と。
ケムリさんは言う。
「サービス精神がないの。人のために動けない。
人のためになにかをしようという気持ちがあまりない」
くるまさんが返す。
「皆怖いけど、喋ってるもんね」
「そう。相方のためだったり、番組の進行のためだったら、ボケたり大きい声出したりするでしょう。ぼくは、人のために動けない」
傷つくのが嫌で、人のため、とか、番組のことを考えて動けない。
結局、それはサービス精神がないんだ、と。
なるほど「面白いことをつくる」というのは、サービス精神なのか。
それは、きっと私に足りない部分だ。と、なんだか急に自分ごとになった。
もちろん、テレビやお笑いの世界の第一線で活躍する方と一緒にしてはいけない。ということは承知している。
けれど、自分がnoteを書くようになって、難しいと感じていたところ。いろいろな方の文章を読むようになって、どこかで感じていた
「読む人を楽しませたい気持ちが見える文章」だなぁ。ウケを狙っている、というわけではないのに、なにが違うんだろう。
という疑問が少し解けた気がした。
きっと私は、怖くて、大きく動けなくて
まだ自分のために文章を書いている。
自分のためでも良いじゃない。とか
誰かのために書けたら素敵。とか
そういう話以前に、
「自分の文章には、サービス精神が足りないのかもしれない」という気付きが、大きかった。
そもそも、noteを書きはじめただけでも、私にとっては「皆の前で大きな声でギャグを言う」くらいの気持ちだったのだ。
けれど、実際はとても小さな声で、でも、それを見つけて耳を傾けてくれる人がいたから、書き続けた。
周りをみると、出演者のコメントを拾ったりツッコんだり、自分でも見どころを作ったりしてバリバリ進行できるMCがたくさんいる世界だったと、今更気がついたような感覚。
(…伝わるだろうか。
なんだか、不安になってきた)
そして、気がついたからと言って、すぐに自分が目指す立ち位置を決められるものでもないし、あっという間に文章が変わることも、きっとない。
けれども、書いていて「難しいなぁ」と思ったり、「この記事はどうしよう?」と思ったとき、しばらくは「サービス精神」という言葉が頭に浮かぶと思うのだ。
動画の中で、弱点を話しながら、くるまさんは言う。
俺達としては成立しちゃってる。
だけど、そんなことでは
いつまでも成長できない。
ああ、また、これも
自分に深く刺さってしまうじゃないか。