春の女神/短編
こんな本は金輪際置いていたくないから燃やしてしまおう、と言って母は、父の蔵書を三十冊ばかり庭へ放り投げた。その上から灯油をどぼどぼかけ、マッチで火を点けた。
昭雄は襖の陰からそれを見ていた。
蔵書のなかに西脇順三郎の詩集を見つけ、あ、とつぶやいた。
あむばるわりあ、という奇妙な題名の詩集はぐうぜん、納戸で見つけた。
本など興味なかったが、なんとなく題名にひかれてめくると、ある頁でとまった。そこばかり読んだために開き癖がついているようであった。
昭雄はこの詩の、ぬらす、女神、舌、という語句に何ともいえぬくすぐったい気持ちになり、幾たびも納戸へ入っては、繰り返しこの詩を読んだ。自分の部屋に持っていかなかったのは、父の本を持っていることを母に気づかれるかもしれないと思ったからである。
蔵書は、勢いよく燃えている。
あの詩集を……救い出したいが、母がまだ立っている。
あ・あ――。
女神たちが春の空にのぼってゆくのを、火が消えるまで昭雄はずっと見ていた。