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119分、観たらちょっと優しくなれる映画「港に灯がともる」

映画『港に灯がともる』は、てっきり震災映画だと思ってた。

けれど、過去を振り返るだけの作品ではなかった。

いまも日本のどこかで息を潜める「生きづらさ」にスポットを当てていた。

一番に感じたのは、人々の葛藤を通じて見えた、生きることの複雑さだった。

映画『港に灯がともる』は、阪神・淡路大震災の翌月に神戸市長田で生まれた在日コリアン三世の女性・灯(あかり)の葛藤や成長を描いた作品。 在日の自覚は薄く、被災の記憶もない灯が、震災や家族、国籍に悩み苦しみ、時には壊れそうになりながらもそれでも一歩ずつ前を向き自分の「居場所」を見つける――。


火中にいなかった引け目

震災当時、自分は4歳だった。
朝目が覚めると、母親と一緒に机の下に隠れていた。
食器棚は倒れてお皿は割れていた。外に出ると信号は赤色だけで点滅していた。

記憶に残っているのはそれくらい。

当時暮らしていた神戸市北区は、火の気が上がる長田区のような甚大な被害はなかった。
だから記憶もあまり残っていない。

どこか遠い出来事。
それでも、震災経験者であることは確かだった。

上の世の人々が経験してきた経験とは違って、あまりにもリアリティがなく傷が浅かった。
どこか対岸の火事を眺めていた。
渦中にいるのに、火中にいなかった。

それでも、1月17日という日は、特別な意味を持つものだった。

見え難い複雑さを映し出す

映画で印象的なシーンが2つある。

1つ目は、灯が設計事務所の代表・青山から「生きとったら、いろいろあるわな」と声をかける場面。
2つ目は、青山の過去を同僚から明かされた灯が、ごく自然に事実を受け入れる場面だ。

灯を青山が、青山を灯が。
結果的にお互いがお互いの背景を受け入れるシーン。
2人の表現方法は違うが、どちらも自然体で包み込むような優しさを感じて涙が出た。


盾が矛となり誰かを傷つけている

ここ最近、Xを眺めているとどうしようもない怒りと悲しさが湧いてくることがある。

名前も顔も素性も隠したまま、誰かが自分の正義を掲げ、好きなことを言い放っている。

中には、過去の発言やテレビ番組の切り抜きをわざわざ掘り起こし、他人を叩く材料にする人たちもいる。その目的は、インプレッションや「いいね」を稼ぐためだったりする。

もはやそこに、他者への理解や思いやりはない。
ただ自分の偶像を肥大化させて、一瞬の快楽を味わう行為かなと思ってしまう。

「被害者」を守るという盾が、いつの間にか矛になり誰かに刺さっている。
自分自身が新たな「加害者」になっている。

「正しいことを言う」ことと、「人を傷つけること」の境界線は、想像以上に曖昧で危ういように思った。


傷ついたものは傷ついた人に優しい

傷ついた人が傷ついた人に優しくできるのは、過去の痛みが他者の痛みと重なり、想像力が働くからだと思った。

優しさとは、相手の痛みを受け入れ、想像力を働かせて「こうかもしれない」と思いを馳せること。

その優しさは、他者を癒すだけでなく、自分をも救う力を持っている。

青山の「生きとったら、いろいろあるわな」という言葉が灯を救ったように、想像力を伴う優しさが、痛みを超えて人々をつなげる力を持っていた。


グラデーションと補色

映画の中では「グラデーション」という表現を使って、人それぞれの視点や価値観の違いを示していた。

誰かの「当たり前」は、自分の「当たり前」とは違う。
互いの背景や経験が異なるからこそ、色や濃淡も違う。

カラーチャートでは、黄色と青紫のように対局にある色が「補色」と呼ばれている。
補色は、遠くにあるように見えるけど、隣り合うと互いを引き立て、最も美しいバランスを生み出せる。

一見対立しているように見える違いも、隣り合わせにすることができれば、互いを際立たせ、新しい視点や調和を生み出せるかもしれない。

記憶の溝を埋める作品

映画を観ても、震災そのものの距離が近づいたわけではない。
震災の記憶や痛みは、これからも自分の生活とは遠い出来事のように感じる。
それは、実際に経験していないからこその限界だと思う。

だけど、映画の中で描かれる「苦しさ」は、自分にも覚えのあるものだった。

目には視えない苦しさや、失うことの悲しみ、自分の居場所を見つけられない孤独感。
震災という特別な状況に限らない、日常の中で誰もが経験するような普遍的な苦しさ。

その普遍的な苦しさを通じて、過去と現在、そして他者と自分をつなぐ、震災という記憶の溝を少しだけ埋めてくれた気がする。


観たら、ちょっと優しくなれるかもしれない119分

映画の上映時間は119分。
映画を「観る」というより、「同じ空気を吸って欲しい」と思った。
苦しい時間もあるけれど、なぜだか爽やかな気持ちで映画館を出た。

雑音だらけのこの世界で、みんながヘッドホンを外して、街を歩けるように。
映画を観ることで、この世界が少しでも優しくなりますように。


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前田 彰
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