ウィンドウが瞬く度に星が燃える【祖父・三谷昭と新興俳句を巡る冒険】(三)
こちらは、わたしの祖父である俳人・三谷昭とその仲間たちの足跡を辿るマガジンです。
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小説を三本書き終え、沖永良部島から東京に戻ってきたわたしは、まず食い扶持を探しつつ、書きあがった小説をどうしようか悩んでいた。
デビューをして14年経つ今ですらよく聞かれるのは「三谷さんは小説家になりたかったんですか?」という一言で、わたしはいつもそれにこう答える。
「小説を書きたかったのであって、小説家という立場になりたかったわけではないです」
この言葉を聞いた相手はいつも驚く。そして、驚かれることに、わたしは驚く。
だって、わたしは、いや、わたしだけではなく小説を書く誰もが、最初から小説家になれる当てなどないはずだ。ないけれど、書く。何万文字、何十万文字にも及ぶ原稿を。
誰にも頼まれてもいず、見せる相手もいない文章をたった一人で。何年も。
こんな苦行、得ることができるかどうかすらわからない、小説家という立場が欲しいというだけのために、普通はやらないと思う。
が、同時に「だからこそ、そんなに苦しいことを何故やりたいのか」という疑問を抱くのも理解できる。きっと、その「何故、文人たちは書きたいのか」という話もこのストーリーの中で語られるだろう。
さて、話を元に戻そう。
習作とも呼べないが、とりあえず完成はした原稿が三本ある。
出来上がりを読み、何度も推敲してもぴんと来ず、「そもそも、これは小説なのか?」と悩みに悩んだが、もうこれ以上考えても自分だけでは答えが出ないだろう。
ならば、誰か、プロフェッショナルに読んでもらおう。
わたしは、公募の情報が載っている雑誌を購入し、〆切が近く規定の原稿枚数が自分の書いた原稿に沿っている文学賞を片っ端から探し始めた。
その約8年前、16歳の時に文藝春秋が発行する小説誌『オール讀物』の新人賞に応募して予選を通ったことがある。わたしが16歳だった1995年当時は、ワープロですら一般家庭にあることはなかった。自分の名前が活字で雑誌に載った、それだけでわたしは満足してしまい、そして、人生で初めて「誰にも見せる当てなく、学校や授業で言われたから書いたわけでもなく、自分が書きたくて書く文章」を書き上げたことで、憑き物が落ちたような気分だった。
当時のわたしは定時制高校に通いながら、夜な夜な渋谷や青山や麻布で遊んでいた。いわゆる渋谷系と呼ばれる音楽が台頭していた時代だった。わたしはもともと大好きだった山田詠美先生の小説に出てきた音楽がフリー・ソウル・ムーブメントと相まって渋谷のクラブで流れているのが嬉しくて、代々木上原にあった高校から毎晩のように渋谷に自転車で通っていた。
その時代のあれこれも、実は小説に書いている。本当は、その小説、当時の大ヒット曲『Midnight Parade』(LOVE TAMBOURINES)をメインテーマにした小説が、わたしの最初のデビュー作になる予定だった。その没になった原稿も、これから公開していこうと思う。
さあ、相変わらず、話が前後しているね。
とりあえず、話を24歳のころに戻そう。
東京に戻ってきたわたしは、その沖永良部島で書いた習作とも呼べないような原稿を、あちこちの出版社に応募し始めた。
そこで連絡をくれたのが処女作『ろくでなし6TEEN』を出してくれた小学館だった。当時の小学館は、『世界の中心で愛を叫ぶ』、『いま、会いにゆきます』などで大ヒットを飛ばしていたけれど、実は、小学館は文芸では後発の出版社だった。
わたしが小学館に原稿を送ったのは獄本野ばらさんの本『ツインズ』の帯にあった原稿募集がきっかけだ。余談だが、わたしは獄本野ばらさんの本で、この『ツインズ』と『カフェー小品集』の中の小樽の実在の喫茶店を舞台にした『光』がとても好きだ。
小学館に応募したのは、デビュー作になる予定だったフリー・ソウル全盛期の渋谷のクラブに集う人々を男女様々な語り手がバトンタッチしていく方式で描いたまだ世に出していない長編小説『Midnight Parade』だった。
そして、もうひとつ、某K社に応募したのが、二作目の出版作品になった『腹黒い11人の女』だった。
この部分は沖永良部島にいた頃、それこそ「何もしないで書くつもりだなどと思っている」ところから抜けた時期に書いた部分で、それはこの作品を出版するまでの幾度にもわたる推敲の間も変わっていない文章だ。
そう、「何もしないで書くつもりだなどと思っている」ところから抜けた瞬間に、物語と人生は動き出す。
次回は、そして小学館の編集者と会う話、某K社との話もちらりと、そう、そして、小説を出すまでに知る祖父と祖母のストーリーの話もできたらと思う。
今も、文章を書く人間はパソコンのウィンドウを覗いては、時に夜空を染め上げる彗星のような、時にかすかに瞬く星のような、きらめきを探して働いている。10代の、20代の頃のわたしのように。かつての時代の人々のように。
しかし、お祖父ちゃん、前回、引用した句もそうだけど、ずいぶん、星が好きだね。
ねえ、そう言えば、お祖父ちゃんの息子であるわたしの父親も、実は星になっているの。比ゆ的な意味ではなくて、事実でさ。
いい加減、いつになったら祖父の話になるんだろう?
我ながらわたしもそう思っているんだけど、まあ、祖父の足跡の大まかなところは三谷昭で検索したら出てくるから、それこそハイパーリンクを踏んでくださいな。
誰にでもあるライフストーリー、どの家にも、どの時代にもあるライフヒストリー。
瞬く星をつなぐように、というタイトルで昔短編を書いたこともあるわたしは、現在進行形で、今日も星を集めて繋いでいる。
(四に続く)
作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。