『モンテ・クリスト伯』-その3 エドモン・ダンテスはどうやって脱獄したのか?そして舞台はいよいよパリへ!-
(Spoiler Alert!ネタバレ注意!)
みなさん、こんにちは!
前回の記事で、「シャトー・ディフ」と「モンテ・クリスト島」が登場しましたが、詳しくはYouTubeで紹介しているので、あわせてご覧頂けると嬉しいです^^
そして、今回の記事の前半では、どのようにしてエドモン・ダンテスは脱獄したのか?について、みていきたいと思いますので、彼が脱獄する場面で登場するティブラン島などの地中海の島々についても、YouTubeで話しています。
では、厳しい監視で知られる牢獄であるシャトー・ディフから、どうやってエドモン・ダンテスが脱獄したのか?について書きたいと思います。
この脱獄のシーンが、モンテ・クリスト伯の物語の中で一番ハラハラする場面なのではないかと思います。
(↓ここからはネタバレになるので、注意です!)
その方法とは・・・ずばり!死体とすり替わって脱獄する!
ダンテスにたくさんの知識と教養を教え、まさに父のようだったファリア司祭が亡くなり、ダンテスは、とっさに自分が死体の代わりになって死体袋に入ります。
でも、この時点では、どこに葬られるのか、彼もわかっていません。
海に死体袋(もちろん中にはエドモン・ダンテスが入っている)が投げ落とされた時、彼は死に物狂いで海中で袋を破り、必死に海を泳ぎます。
この時、シャトー・ディフのすぐそばのラトノー島とポメーグ島は、人が住んでいることを知っていたため、彼はずっと先のティブラン島まで泳ぎます。
凄いですよね。
牢獄の狭い一室に14年間もずっと入っていた人間が、泳げるのか(体が動くのか)⁉という疑問もありますが、相当長い距離を泳いだことが分かります。
いつ看守が追ってくるかわからない中で、彼が必死に逃げる描写が本当にうまい。
やはり、アレクサンドル・デュマは天才。
アレクサンドル・デュマは、旅行好きだったので、このあたりの海も訪れたことがあるのかもしれません(だから地理にも詳しかったのでしょう)。
意識をなくす寸前に、なんとか命からがらティブラン島に辿り着いたダンテスは、その島の近くを通った密輸船に助けられ、船乗りとして働かせてもらいながら、自分を陥れたあの悪党3人の行方を捜します。
そして、モンテ・クリスト島に上陸し、ついにエドモン・ダンテスは、ファリア司祭から伝えられた、この島に隠された莫大な財宝を探し当てたのだった。
YouTubeでも話していますが、モンテ・クリスト島は、現在は上陸するのに許可が必要らしいです。
こうして、エドモン・ダンテスは、莫大な富と貴族らしい物腰、豊かな教養で、モンテ・クリスト伯という貴族となり、生まれ変わります。
そしていよいよ舞台はパリに移り、ダンテスは自分を陥れた3人に復讐を開始します。
14年後の悪党3人は、皆偉くなっていて、それなりの地位についており、パリの社交界にも顔を出している。
3人がパリに住んでいるので、ダンテスもモンテ・クリスト伯と名乗り、パリに住むわけですが・・・。
なんとモンテ・クリスト伯が住居に選んだのは、パリのシャンゼリゼ大通り!
余談ですが、この頃(1800年代中頃)から、シャンゼリゼ大通りの裏通りはポンティユ通りとして既に存在していたということがわかりました。
(シャンゼリゼ大通りとポンティユ通りは、拙著「アルセーヌ・ルパンと歩くフランス」でも写真を掲載していますので、どんな通りかご覧いただけると嬉しいです。
ポンティユ通りは、『特捜班ビクトール』に登場する通りですね。詳しくは過去記事をお読みください。)
シャンゼリゼ大通りの家は、当時でも一等地だったはず・・・。
そこに住むなんて、モンテ・クリスト島の財宝が、いかにとんでもなかったかが分かります。
モンテ・クリスト伯は、シャンゼリゼ大通りの30番地に居を構えるのですが、ちょうど凱旋門とコンコルド広場の中間あたりの位置ですね。
続く。