アルセーヌ・ルパンの大いなる秘密を追う㉗-ドビュッシーの謎‐
みなさん、こんにちは!
今日は、前々回の記事の続きを書きたいと思います。
前々回の記事はこちら↓
アルセーヌ・ルパンの大いなる秘密を追う㉕-ルブランに大きな影響を与えた妹-|西本亜希子 (note.com)
前々回の記事↑で、アルセーヌ・ルパンの冒険の作者モーリス・ルブランの妹であるジョルジエット・ルブランについて取り上げました。
そして、(前々回の記事にも書いた)ジョルジエット・ルブランについて触れている本の紹介↓と彼女と関係が深いメーテルリンク、そしてメーテルリンクと知り合いだったドビュッシーをみていきたいと思います。
『路地裏の迷宮踏査』では、ジョルジエット・ルブランの本業は女優とされていますが、オペラ歌手でもありますね。
そして、彼女の初舞台は、1893年パリのコミック・オペラ座での舞台と書かれていますが、恐らくオペラ・コミック座のことではないかと思います。
オペラ=コミック座 - Wikipedia
フランス革命期から存在し、オペラ座よりも小さな劇場のようで、パリに行ったら訪れてみたい劇場です。
ジョルジエットがデビューした2年後にメーテルリンクと出会い、1918年までパートナーシップが続いていたようです。
メーテルリンクも、象徴主義や神秘主義と関わりが深かったし、何よりもドビュッシーと知り合いだったから、レンヌ・ル・シャトーの謎もドビュッシー経由で、ルブランに伝わったんじゃないでしょうか。
つまり・・・
ドビュッシー→メーテルリンク→ジョルジエット→モーリス・ルブラン
この流れで、ルブランがレンヌ・ル・シャトーの謎を知った可能性が大きいと私は思います。
で、ドビュッシーなんですが、なんとシオン修道会の総長だったんですね。
シオン修道会は、『ダ・ヴィンチ・コード』で一躍有名になったので、ご存知の方も多いと思いますが、秘密結社の1つですね。
ダ・ヴィンチ・コードで描かれている通り、はるか昔にレオナルド・ダ・ヴィンチが総長を務め、その後、ビクトル・ユゴー→ドビュッシー→ジャン・コクトーと歴代の総長が続きます。
ドビュッシーって、メーテルリンクと同じくらい、いや、それ以上に神秘主義だったのではないでしょうか。
因みに、ソニエール神父がレンヌ・ル・シャトーで羊皮紙(と財宝?)を発見した時のシオン修道会の総長がドビュッシーだったんです。
ドビュッシーとソニエール神父が知り合いだった可能性もかなり高いです。
なぜなら、2人には共通の友人がいるから。
それが、エマ・カルヴェさんというオペラ歌手です。
だから、ドビュッシーは、高い確率で、レンヌ・ル・シャトーの秘密を知っていたに違いないでしょう。
因みに、メーテルリンクが書き上げた『ペレアスとメリザンド』をドビュッシーが作曲したわけですが、メーテルリンクはその主役を、もちろん自分の恋人であるジョルジエットにさせたかった。
だけど、ドビュッシーは、エマ・カルヴェに主役をやらせたかったようで、メーテルリンクとドビュッシーは喧嘩になったようです。
そしてですね・・・ドビュッシーとモーリス・ルブランが直接知り合いだったかどうかについては、微妙でなんとも言えないのですが・・・可能性はゼロではないかもしれません。
なぜなら、ドビュッシーとルブランはご近所さんだったからです。
ドビュッシーは、1905年から死ぬまでパリのSq. de l'Avenue Foch24番地に住んでいたんですね。
同じパリの16区、しかもルブランも、フォッシュ通りのすぐそばのクルボ通りや他の近くの通りにも住んでいたので、顔見知りだったかもしれません。
ドビュッシーについてさらに調べたら、何か意外な発見があるかもしれませんね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。